日本館

日伯友好の象徴

サンパウロ市内南部に位置するイビラプエラ公園は、1954年のサンパウロ市制400周年を記念して、ブラジルを代表する世界的な建築家のオスカー・ニーマイヤーと造園家のプレレ・マルクスの設計によって造られた公園です。約120ヘクタールに及ぶ広大な敷地には沢山の木々や水鳥が憩う大小の池があり、ゆったりとした時間と空間を堪能することができる場所として市民に愛されています。

このイビラプエラ公園内の1画に、同市政400周年を祝して日本政府とブラジル日系社会が協力して建築し寄贈した「日本館」があります。

この日本館は日本の建築学界の大御所である堀口捨巳博士によって設計され、木材は吉野杉、やに松、尾州檜、壁は京都の土壁、母屋の屋根は尾州一文字瓦、といった日本建築の伝統的な資材を使用して建てられています。このように日本館は木材から日本庭園の石材に至るまで必要な資材はすべて日本から取り寄せるなど細部にまでこだわり、丹念に仕上げられました。このように日本館そのものが、日本特有の木造建築の雰囲気を示した展示品として環境と見事に調和し、「イビラプエラ公園内の宝石」との評を受けるまでに至りました。また同年9月に挙行された日本館公式落成式では、出席したサンパウロ州知事が日本館に対し「日系社会からの、美しく心のこもった贈り物」と、称賛と感謝の言葉を述べています。

伝統的な建築様式を踏襲して建てらた日本館は桂離宮と同様、平安時代の貴族や武士の住宅様式「書院造」となっています。寝殿造では十分でなかった間仕切りが書院造では大いに発達し、引き違いの建具によって分けられた畳を敷き詰めた室(座敷)が連なり、その室の床には高低差が付けられ、一段高い主室を上段、ときには上々段と呼び、低い室を下段と呼び席による階級差を明瞭に示します。主室には、書院、押し板、棚、納戸構(帳台構・武者隠し)が設けられ、それらの壁には淡彩や濃彩の障屏画が描かれ上段に座す高位者を荘厳しました。当館は「本館部」と展示場を含む「付属館部」から成り、それらを「渡り廊下」がつなげています。

日本館内には、日本を代表する文化の一つである「茶道」の儀式が行なわれる茶室も備えています。1954年の開館式には裏千家の千玄室大宗匠(当時:千宗興若宗匠)が舎弟の納屋嘉治氏(淡交社初代社長)と共に出席されました。

また、同館内の展示会場には50数点の日本古来の美術品を展示し、池には錦鯉(寄贈:サンパウロ市と姉妹都市関係にある大阪市や全日本愛鱗会/管理:ブラジル錦鯉愛好会)を放つなど日本文化普及の為に様々な工夫をこらして来館者を迎えています。この日本館は1997年にはサンパウロ市の永久保存建築物にも指定され、サンパウロと日本の友好の象徴となっています。

維持管理

現在、この日本館に関する運営管理は同市よりブラジル日本文化福祉協会に一任されています。日本館はブラジルにおける唯一の純日本式建築であり、日本の材料および釘を全く使わないなどの独特の建築方法を用いて建設されているため、現地の職人では修繕さえもままならず、日本館の維持管理は長年の課題でした。その様な中、中島工務店(本社・岐阜)の中島紀于代表取締役がこれまで1988、1998、2013、2015年の4回にわたり、日本から自費で大工を率いて来伯、日本館の修繕やメンテナンスを一手に引き受けてくださっています。

 

この日本館のように、日本国外においてその特性を完全な状態で維持している貴重な建築物のもう1棟は、1954年に米国に建築された「松風荘」が知られています。現在はペンシルベニア州フィラデルフィア市郊外のフェアマウントパーク内で一般公開されています。

訪伯する要人の殆どは、ここ日本館に必ず来館するといっても過言ではありません。そのため日本館の庭園には来館者らのモニュメントがいくつか存在しています。ブラジル日本移民70周年で御来伯された皇太子明仁親王殿下および同妃美智子殿下(当時)を記念して1978年にサンパウロ市より寄贈された銅版碑文も、そのうちの一つです。

場所: イビラプエラ公園 
   Av. Pedro Álvares Cabral, s/nº – São Paulo – SP
   日本館最寄りゲート:ゲート10(徒歩の場合)                               ゲート  3(車の場合)
営業: 木,金,土,日.祝日
時間: 10時から17時まで

お問い合わせ:
(11) 99538-1927 または pavilhao@bunkyo.org.br

入館料
大人:
15レアル
学生:  7レアル(要学生証)
高齢者(60歳以上): 7レアル 
子供(5~12歳):7レアル
幼児(4歳まで):無料
※チケットは一度購入したら、その日は何度でも出入り可
※木曜日は無料

 

日本館について

  • 日本館は、1954年、サンパウロ市制400周年を記念して日本政府とブラジル日系社会が協力しイビラプエラ公園内に建築し贈呈されました。現在も日本とブラジルの友好の象徴として存在しています。

  • 1955年以来、この日本館に関する運営管理は同市よりブラジル日本文化福祉協会に一任されています。日本館の維持管理はもちろん、日本文化紹介イベントなども開催しています。

  • ブラジル日本移民70周年で御来伯された皇太子明仁親王殿下および同妃美智子殿下(当時)を記念して1978年にサンパウロ市より寄贈された銅版碑文や、2015年に日伯修好通商航海条約120周年記念で御来伯の秋篠宮同妃両殿下(当時)によって御植樹された白イペーがあります。

  • 日本の建築学界の大御所、堀口捨巳博士によって桂離宮をヒントに設計された日本館は、平安時代の貴族や武士の住宅様式「書院造」となっています。寝殿造では十分でなかった間仕切りが書院造では大いに発達し、引き違いの建具によって分けられた畳を敷き詰めた室(座敷)が連なり、その室の床には高低差が付けられ、一段高い主室を上段、ときには上々段と呼び、低い室を下段と呼び席による階級差を明瞭に示します。主室には、書院、押し板、棚、納戸構(帳台構・武者隠し)が設けられ、それらの壁には淡彩や濃彩の障屏画が描かれ上段に座す高位者を荘厳しました。

  • 日本館の建築材料は木材が主で、吉野杉、やに松、尾州檜等を使用し、壁は京都の土壁、母屋の屋根は尾州一文字瓦で葺き、廂、軒先には銅版を葺いています。茶室および水屋は畳敷で、建具は障子、ふすま、板戸、ガラス戸等が用いられています。

  • イビラプエラ公園のやや中央部から人造湖の西方へ突出した半島状の土地が、日本館の敷地となっています。ユーカリの木で外部と遮断されている格好となったことが功を奏し、静かな空間に佇む日本館は、独特な美しさを更に際立たせています。

  • 来伯する要人の殆どが必ず来館するといっても過言ではないここ日本館は、日本人移民を受け入れ、根を張ることを容認してくれたブラジルへの感謝の気持ちを込めて建設されました。現在も日伯友好を象徴する建物として存在しています。

  • 日本館付属館部にある展示室には、日本のさまざまな時代の芸術品や工芸品、文化財などが展示されています。これらは日本政府や諸団体、企業、個人からの借り受けや寄付などで集められました。展示物の一部は、サンパウロ市制400周年記念式典中に一般公開されました。