歴代会長

サンパウロ市制400周年記念祭への協力を機に、1954年初頭日系社会の結合・団結を図る組織設立の提案がされました。1955年10月サンパウロ市制400周年祭典協力委員会解散総会が開かれ、同時にサンパウロ日本協会創立準備委員会が発足しました。1955年12月17日には、サンパウロ日本文化協会が創立され、初代会長に山本喜誉司が選出され、事務所をリベルダージ90番、6階に設けました。山本会長の激務の始まりです。一方では資金援助を受けるために、もう一方ではブラジル日本移民50年祭に向けて実行委員会を組織するために、勢力的に啓蒙活動を展開しました。
65年後の今、歴代12名の会長が当会の責務を果たしました。歴代会長および理事会役員らにとっては、多大な献身と努力の日々を意味しています。

歴代会長の横顔と業績は以下の通り

第12代会長 呉屋新城春美 2015年4月~2019年3月

文協初の女性会長の呉屋元会長は、沖縄県で生まれ、1958年、5歳の頃、家族と共にブラジルへ来る。文協では、2003年に、上原元会長に第2会計理事に推薦され、就任しました。また、木多元会長の副会長としても活躍しました。

バヘートスのエンジニア大学で土木工学を卒業し、1986年にサンパウロ州政府税務局の試験に受かり、財務代理人として務み、マリオ・コーバス政府(1995年~2001年)の1998年に情報技術部門を設立し、2013年に引退しました。

ブラジル沖縄県人会では2005年から理事として活躍しているため、ブラジル沖縄県人会の活動と文協の活動を共有していました。 2000年には、沖縄県ウチナー民間大使に任命されました。

会長の4年間を振り返ると、初女性の会長で周りの人たちは驚きを示していたが、「男性は順調に行動しました。彼らの団体のために努力をする前向きな姿勢を感じた」と彼女は述べました。

文協での主な活動には、「内部活動」、「工事と修復」と「集団行動」の3つの項目に分けることができます。

国の政治的および経済的危機にもかかわらず、各委員会のボランティアの方々に支えられた理事たちは、計画された活動を継続することができました。

近年、事業計画は利用者の要求に合わせて変更され、2014年以降、34の委員会のそれぞれの活動を最適化するために統括委員会制度が配置され、3つの統括委員会の運営管理統括委員会、文化社会事業統括委員会と交流事業統括委員会が設立されました。

2016年には青年統括委員会も配置され、文化祭り、FIB(文協統合フォラーム)、講座、講義を主催する青年委員会も設立しました。

4年間の間は、経営状況がますます心配になりました。金銭の勘定を締めくくることが出来なくなり、協賛団体や会員に頼ることが必要になってしまいました。

2017年には予算企画担当中垣エンリケ理事と予算財務委員会の島袋カミロ氏は協会の全体的状況を詳しく、包括的に分析と調査を行いました。

提案された選択肢の中の1つは理事会が引き受けました。それは協会への金銭的貢献を改善するために個人会員を増やし、新しい会員区分クラスを確立することでした。

会場賃貸業務は引き続き、協会の管理を維持するための必須でした。しかし、金融危機の時期は需要が少なく、委員会が開催した全てのイベントにいい結果があったわけではありませんでした。

理事らは新しい会員を見つけ、文協のような団体を維持する必要性と意義を主張する役目がありました。この期間の経済結果は励みになりました。

また、「内部活動」の項目では、INSSの裁判の変更があります。理事会が行った決定的な交渉により、アディブ・サロマン法律事務所との長期契約を破り、法務委員会のマルセロ・モレイロ弁護士がその裁判のの主導権を握り、それによって導き出された最終結果は、大変心強いものでした。

もう一つ、2017年にAVCB – 「消防署・認可証」の取得に成功したことも、大きな勝利と言えます。これは、2007年に開始された募金キャンペーンにより、修繕の必要があった数多くの設備を直すことができました。

この「内部活動」の項目で、さらに様々な委員会が実施した活動に成果がありました。まず、図書館を維持するための資金集めを目的とした「古本市」ですが、回を重ねるごとに来客が増ました。その他に、国際交流基金とパナソニック社の協力のもと、ポルトガル語の字幕付きで日本映画を上映する「文協シネマ」が復活しました。社会福祉委員会においては「シニアダンス教室」が人気を増していました。さらに、宮坂国人財団のご支援のもと、サンタクルーズ病院と共同で6ヶ月ごとに開催している「高齢者介護プログラム」も、受講希望者が増えました。会員拡充委員会によるフリーダンスや社交ダンス、いけ花教室も、同じように受講希望者が増えました。

次の項目の「工事と修復」では、日伯修好120周年の折、公式プログラムに組まれた日本館の修復工事では、日本の中島工務店から派遣された6名の大工によって、3週間かけて行われました。日本から輸入した6トンの「杉」と「ヒノキ」を使い、2015年に修復が完了しました。もう一つは、文協ビル地下の「文化ホール」です。200万レアルの予算で、約1,800平方メートルのスペースを改修し、多くの文化活動や日本移民史料館の展示などにも使用する計画です。現在は仕上げの段階に入っていますが、料理スペースは全ての設備が整い、内部のイベント時には料理をして皆様に振舞うなど、既に活用されています。

ブラジル日本移民110周年を記念するために行われた多くのイベントの中で、最も輝いたものは日伯両国の来賓客と共に、眞子内親王殿下の御臨席を賜った記念式典でした。日本祭り会場に5000人の観客席を備えた「110周年アリーナ」を特設して式典を挙行したほか、2000人の演者によって「結」と題した芸能ショーも行われ、印象深い記念式典となりました。

また、先駆者に心からの敬意を表することに加えて、110周年記念遺産として選んだサンロッケ市にある国士舘大学スポーツセンター・プロジェクトに対する第一段階の資金を集める事ができました。110周年プロジェクトによって整備、増設される施設は、将来的には日系社会はもとよりブラジル社会の両方に利益を齎すとのが目的となっています。そして、この重要なプロジェクトに対し、故原沢和夫さんのご遺族が多額の寄付をお寄せ下さいました。

「工事と修復」に関しても、多くの日本企業の支援のおかげで成し得た「移民史料館」の改装も大変重要なものでした。

最後に「団結」の項目では、文協、援協、県連、商議所、日文連からなる「5団体」が団結することが出来ました。それぞれの団体は違った使命を持っていますが、ともに実行できる内容も数多くあります。1つの団体では成し得ないことも、団結する事によりそれぞれの業績に大きな実りをもたらす相乗効果が生まれました。

DIRETORIA

Presidente Honorário: Kokei Uehara (2015-2018); Kihatiro Kita (2015-2016)

Presidente: Harumi Arashiro Goya (2015-2018)

1º Vice-Presidente: Jorge Yamashita (2015-2016); Osamu Matsuo (2017-2018)

2º Vice-Presidente: Osamu Matsuo (2015-2016); Roberto Yoshihiro Nishio (2017-2018)

3º Vice-Presidente: Madoka Hayashi (2015-2018)

4º Vice-Presidente: Ricardo Luís Nishimura (2015-2018)

5º Vice-Presidente: Roberto Yoshihiro Nishio (2015-2016); Teruco Kamitsuji (2017-2018)

6º Vice-Presidente: Gerson S. F. Kunii (2015-2016); Marcelo Hideshima (2017-2018)

7º Vice-Presidente: Teruco Kamitsuji (2015-2016); Carlos Kendi Fukuhara (2017-2018)

Secretário Geral: Anacleto Hanashiro (2015-2018)

Tesoureiro Geral: Hiroshi Takahashi (2015-2016); Gerson S. F. Kunii (2017-2018)

1º Secretário: Henrique Teruo Matsuo (2015-2016);
Celso Norimitsu Mizumoto (2017-2018)

2º Secretário: Celso Norimitsu Mizumoto (2015-2016);
Camilo Ilzo Shimabukuro (2017-2018)

1º Tesoureiro: Taqueshi Ishikawa (2015-2018)

2º Tesoureiro: Kyoko Yanagida Nakagawa (2015-2016); Hiroshi Takahashi (2017-2018)

Diretor de Assistência Social: Reimei Yoshioka (2015-2016); Seigo (Sérgio) Nishino (2017-2018)

Diretor de Planejamento: Henrique Shiguemi Nakagaki (2015-2018)

Diretor Cultural: Carlos Kendi Fukuhara (2015-2016); Elzo Sigueta (2017-2018)

Diretor Social: Seigo (Sérgio) Nishino (2015-2016); Henrique Teruo Matsuo (2017-2018)

Diretor de Esporte: Kenji Kiyohara (2015-2018)

Diretor de Comunicação: Léo Sussumu Ota (2015-2018)

Diretores: Camilo Ilzo Shimabukuro (2015-2016); Eiki Shimabukuro (2015-2016); Kazusuke Nakamura (2015-2016); Rodolfo Eiji Wada (2015-2016);
Sadao Kayano (2015-2016); Alexandre Shodi Nomura (2017-2018);
Maurício Miyasaki (2017-2018); Renato Ishikawa (2017-2018);
Rogério Massami Kita (2017-2018); Valter Sassaki (2017-2018)

Assessores da Presidência: Akeo Uehara Yogui (2015-2018); Elzo Sigueta (2015-2016);
Marcelo Hideshima (2015-2016); Marcelo Shiraishi (2015-2016);
Tomio Katsuragawa (2015-2016); Victor Kobayashi (2015-2018);
Eiki Shimabukuro (2017-2018); Fabio Kawauchi (2017-2018);
Kazusuke Nakamura (2017-2018); Reimei Yoshioka (2017-2018);
Rodolfo Eiji Wada (2017-2018); Sadao Kayano (2017-2018);
Tério Uehara (2017-2018)

Diretores Adjuntos: Jorge Yuuji Shimao (2015-2016); Rogério Massami Kita(2015-2016)

Representantes Regionais: Acelino Sinjó Nakasato (2015 – 2016); Akiyoshi Shikada (2015 – 2018); Alberto Sakakisbara (2015 – 2018); Antonio Carlos Shimano (2017 – 2018); Artur Nakahara (2015 – 2017); Elidio Yocikazu Sinzato (2015 – 2016);
Elio Hideo Baba (2015 – 2018); Hideki Okamoto (2015 – 2016);
Hiroshi Taniguchi (2017 – 2018); Isaac Yasuo Miyaoka (2015 – 2018);
Jorge Ajifu (2015 – 2016); Jorge Gonda (2017 – 2018);
Jorge Kiyoshi Suzuki (2015 – 2018); José Matsuo Kanashiro (2015 – 2018);
José Yoshihisa Shirota (2015 – 2018); Júlio Uehara (2015 – 2018);
Ken Nishikido (2015 – 2018); Kiyoji Nakayama (2015 – 2017);
Marise Harue Hirose Hashimoto (2017 – 2018);
Masachika Takaki (2017 – 2018); Mitsutoshi Akimoto (2015 – 2018);
Paulo Nishimura (2015 – 2018); Ricardo Rikichi Origassa (2015 – 2018); Roberto Mizushima (2017 – 2018);
Roberto Yoshifumi Kawasaki (2017 – 2018);
Rogério Hissao Umeoka (2015 – 2018); Roxana Shinohara (2017 – 2018);
Rui Kiyoshi Hara (2015 – 2018); Sadao Sakai (2015 – 2016);
Satoro Matsufuji (2018); Sergio Ocimoto Oda (2015 – 2018);
Shigeru Matsumoto (2017 – 2018); Shinichi Yassunaga (2015 – 2018); Tadafumi Takakura (2015 – 2018); Tadayoshi Hanada (2015 – 2018);
Tetsuo Kanno (2015 – 2017); Toshiaki Yamamura (2015 – 2018);
Toshio Koketsu (2015 – 2018); Yuji Ikuta (2015 – 2018);
Zenemon Yamamoto (2015 – 2016)

CONSELHO DELIBERATIVO

Presidente: Kiyoshi Harada (2015 – 2016); Jorge Yamashita (2017 – 2018)

1º Vice-Presidente: Raul Massayoshi Takaki (2015 – 2016); Kihatiro Kita (2017 – 2018)

2º Vice-Presidente: Masato Ninomiya (2015 – 2016); Tomio Katsuragawa (2017 – 2018)

3º Vice-Presidente: Armando Yoshikazu Kihara (2015 – 2016); Marcelo Shiraishi (2017 – 2018)

1º Secretário: Orídio Kiyoshi Shimizu (2015 – 2016); André Tatsuhiko Korosue (2017 – 2018)

2º Secretário: Rumi Kusumoto (2015 – 2018)

3º Secretário: Emilia Tanaka (2015 – 2016); Claudio Hagime Kurita (2017 – 2018)

Secretário Geral Administrativo: Eduardo Goo Nakashima

11代会長 木多喜八郎 2009年4月~2015年3月

木多喜八郎は1944年5月8日、ブラジル連邦サンパウロ州ミランドポリス市に生まれ、アルバレス・ペンテアド商業高等学校に入学し、会計士としての基礎を学びました。卒業後はPOLISPIN商工有限会社に就職、会計実務の第一歩を踏み出しました。

1989年より文協の活動に携わり、会計専任理事、副会長などを歴任、2009年4月には会長に選出され3期6年にわたり、日系社会の発展に貢献しました。

特に、農業関連事業の強化に対して熱心に取り組みました。2009年、前年のブラジル日本移民100周年を迎えた歴史の中で、日系人を支えたのは「農業」であるとし、その「農業」に焦点をあてた新たなる概念、技術、および代替案を加え、日系人がブラジル農業に対し貢献可能な潜在能力の再認識および成長と発展のため「農業関連交流委員会」を設置しました。同委員会の初事業として、2日間にわたりサンパウロ州ポンペイヤ市に所在する西村俊治技術財団にて「第1回文協農業関連交流会」を開催しました。多くの農業関係者が各々の分野に関する事柄、アグリビジネス、農村活案、精密農業などのテーマで講演を行うなどし、参加者らの好評を博しました。

2011年3月11日に発生した東日本大震災で東北地方を中心に甚大な被害がもたらせれた折、ブラジル日系社会を代表する5団体(ブラジル日本文化福祉協会(文協)、サンパウロ日伯援護協会(援協)、ブラジル日本都道府県人会連合会(県連)、ブラジル日本商工会議所、日伯文化連盟)へ呼びかけ、震災被災者募金キャンペーンを展開しました。そこで集った義捐金315万5008.54レアル(当時円通過で1億5774万2807円)は日本赤十字に送金しました。

また、文協創立55周年記念事業の一環として2011年8月に「美空ひばりフィルム・コンサート」をサンパウロ市はじめとする10都市で12回に亘り開催しました。多くの企業や実業家による支援と各地の日系団体の協力を得て、公演は成功裏に幕を閉じました。

国士舘スポーツセンターに対しては、敷地の有効活用を目的とする「日伯文化センタープロジェクト」を掲げました。このプロジェクトの目的は、日伯交流の強化、および持続可能な施設としての環境公園に変造することでした。その第一歩として、桜まつり会場の拡大および、整地と芝の植え付けをした体育館周辺には、舞台や新しい食の広場、貴賓室を増設しました。

また、IPTU (サンパウロ市の土地・家屋税) の問題解決にも尽力しました。文協ビルは、2002年度から2005年度分は免税の対象でしたが、2006年度から2010年度分については申請が認可されず、この分が未納となっていたのです。当ビルは過去数回にわたって増築しましたが、当時の工事会社のINSS(社会保険)完納証明書がなく、増築分の不動産登記ができていませんでした。数年前に登記手続きを始めたところ、市は従来の供給分担制であったIPTUを文協名義で一括請求するようになりました。しかし、工事会社は既に消滅していたため、文協は時効となる5年が経過し、INSSの完納証明書がなくても登記できるようになるのを待つという手段を選びました。最終的にIPTUに関する問題は、2014年8月6日にサンパウロ市の財務法廷で裁判官が文協が自主的に提出した資料を受け入れて文協が免税対象である事を認め、納税義務を免除するという、文協側の要請通りの判決を下し、徴税停止の決定が下されました。

合わせて、文協ビルの近代化にも力を入れました。1964年の文協ビル落成後、数回の増改築工事をした文協ビルを消防署と市不動産管理局(CONTRU)の安全基準に適合させることが大きな課題でした。老朽化した施設の安全基準を満たすためには様々な改修工事が必要であり、そのための資金を調達するため「マスター会員キャンペーン」および「功労会員キャンペーン」を企画実施しました。集まった資金は別会計で管理され、文協ビルの安全適格化の為に使用しました。

また、文協ビル入口と多目的文化スペースの拡大、ブラジル日本移民史料館へのアクセスを改善すると同時に、文協ビル地下階のサンパウロ日伯援護協会の診療所跡地に文化活動を促進するための展示会や各種講座用の場所を整備し、あわせて日本料理普及の為の調理スペースを設置する方向性を固め実施しました。

 

このような、ブラジル日本移民史料館の史料の一部や大講堂、展示室、体育館、日本館に関する改修工事は15ヶ月間かけて行われました。文協ビルの近代化工事完工式典には、約200名が参列し、大塚実プロジェクト※を通して行われた近代化工事の全容が紹介されました。各々の場所には大塚氏の寄付によって工事が行われた事を後世の記憶に留めるために記念プレートを作成、その除幕式を行いました。

※2012年にジャーナリストである日下野良武氏が行った「ブラジルの日本人・日系人の活躍と貢献」についての講演がきっかけで、日本の総合商社「大塚商会」の大塚実名誉会長より、文協へ1億円が寄付されました。贈呈式典は2013年3月28日、東京にあるブラジル大使館で行われました。

それ以外にも、会員および日系社会との関係性を強化するため、文協のウェブサイト(www.bunkyo.org.br)、電子新聞の「E-news」、印刷版の新聞「Bunky onews」を構築しました。

Diretoria

Presidente: Kihatiro Kita (2009-2014)
Presidente Honorário: Kokei Uehara (2009-2014)
1º Vice: Jorge Yamashita (2009-2012); Harumi Arashiro Goya (2013-2014)
2º Vice: Sadao Kayano (2009-2012); Jorge Yamashita (2013-2014)
3º Vice: Tomio Katsuragawa (2009-2012); Anacleto Seitetsu Hanashiro (2013-2014)
4º Vice: Harumi Arashiro Goya (2009-2012); Madoka Hayashi (2013-2014)
5º Vice: Marcelo Shiraishi (2009-2010); Madoka Hayashi (2011-2012); Ricardo Luís Nishimura (2013-2014)
6º Vice: Madoka Hayashi (2009-2010); Elzo Sigueta (2011-2012); Sadao Kayano (2013-2014)
7º Vice: Jorge Yuuji Shimao (2009-2010); Victor Kobayashi (2011-2012); Osamu Matsuo (2013-2014)

Secretário Geral: Anacleto Seitetsu Hanashiro (2009-2012); Roberto Yoshihiro Nishio (2013-2014)
1º Secretário: Roberto Yoshihiro Nishio (2009-2012); Kazusuke Nakamura (2013-2014)
2º Secretário: Vitório Isamu Ueno (2009-2010); Jorge Yuuji Shimao (2011-2014)

Diretor Tesoureiro: Gerson Shitoshi Fukanoki Kunii (2009-2012); Kenji Kiyohara (2013-2014)
1º Tesoureiro: Hiroshi Takahashi (2009-2012); Tetuya Fujimoto (2013-2014)
2º Tesoureiro: Kenji Kiyohara (2009-2012); Takao Yamada (2013-2014)

Diretor de Comunicação: Victor Kobayashi (2009-2010); Claudio Hagime Kurita (2011-2012); Léo Sussumu Ota (2013-2014)

Diretores de Esportes: Elzo Sigueta (2009-2010); Mario Massayoshi Nakamura (2011-2012); Gerson Shitoshi Fukanoki Kunii (2013-2014)

Diretor de Planejamento: Maurício Makoto Miyasaki (2009-2010); Marcelo Shiraishi (2011-2012); Edson Issao Kuwabara (2013-2014)

Diretor Cultural: Leo Sussumu Ota (2009-2012); André Tatsuhiko Korosue (2013-2014)

Diretora Social: Teruco Araki Kamitsuji (2009-2014)

Diretor de Assistência Social: Reimei Yoshioka (2009-2014)

Diretores: Kiyoji Nakayama (2009-2014); Lidia Reiko Yamashita (2009-2012); Marcelo Hiroyuki Hideshima (2009-2012); Orídio Kiyoshi Shimizu (2009-2010); Tadayoshi Hanada (2009-2010); Akeo Uehara Yogui (2011-2014); Sunao Sato (2011-2014); Claudio Hagime Kurita (2013-2014); Mauricio Makoto Miyasaki (2013-2014)

Representantes Regionais: Akiyoshi Shikada (2009-2014); Artur Nakahara (2009-2014); Bernardo Yukishige Tibana (2009-2012); Hatsumi Tanji Sakakisbara (2009-2012); Isaac Yasuo Miyaoka (2009-2014); Jorge Yamawaki (2009-2012); Kazoshi Shiraishi (2009-2014); Kazuhiro Mori (2009-2012); Ken Nishikido (2009-2014); Kiyoji Nakayama (2009-2014); Kosuke Ono (2009-2014); Luiz Tsuneo Kitabayashi (2009-2014); Massaro Fugiy (2009-2014); Mitsuru Minami (2009-2012); Mitsutoshi Akimoto (2009-2014); Roberto Yoshifumi Kawasaki (2009-2012); Sérgio Norifumi Dói (2009-2012); Tadayoshi Hanada (2009-2014); Takumi Shimada (2009-2012); Toshiaki Yamamura (2009-2014); Toshio Koketsu (2009-2014); Tsuyoshi Yotsumoto (2009-2010); Yuji Ikuta (2009-2014); Akihide Takane (2011-2014); Elidio Yocikazu Sinzato (2011); Oscar Urushibata (2011-2012); Pedro Yano (2011-2014); Ricardo Hideo Itabashi (2011-2014); Rogério Hissao Umeoka (2011-2014); Seiti Sacay (2011-2014); Toyohiro Shimura (2011-2014); Luiz Kiyoshi Nakayama (2012); Acelino Sinjó Nakasato (2013-2014); Alberto Sakakisbara (2013-2014); Alcides Tadaki Sekitani (2013-2014); Hideyuki Kariya (2013-2014); Janio Akira Ishisaki (2013-2014); Katsuhide Maki (2013-2014); Rikiti Orikasa (2013-2014); Roxana Shinohara (2013-2014); Yuji Izawa (2014)

Conselho Deliberativo

Presidente: Tuyoci Ohara (2009-2010); Kiyoshi Harada (2011-2014)
1º Vice: Masato Ninomiya (2009-2014)
2º Vice: Mitsuo Nishime (2009-2010); Raul Massayoshi Takaki (2011-2014)
3º Vice: Emília Tanaka (2009-2012); Lidia Keiko Ogassavara Shimizu (2013-2014)

1º Secretário: André Tatsuhiko Korosue (2009-2010); Orídio Kiyoshi Shimizu (2011-2014)
2º Secretário: Décio Issamu Nakagawa (2009-2010); André Tatsuhiko Korosue (2011-2012); Tomio Katsuragawa (2013-2014)
3º Secretário: Lidia Keiko Ogassavara Shimizu (2009-2012); Rumiko Kusumoto (2013-2014)

Secretário Geral Administrativo: Eduardo Goo Nakashima

第10代会長 上原幸啓 2003年4月~2009年3月

1927年11月26日に、沖縄県那覇市小禄に生まれる。9歳の時、8人兄弟のうち既にブラジルへ渡っていた2人の兄弟を頼りに叔父、叔母そして6人の兄弟と共にブラジルへ。幼い頃は、昼間は農作業の手伝い、午後からは4キロ離れた学校へ歩いて通う日々でした。ポルトガル語が全く分からず、やっと話したそれも日本語訛りだと友人にからかわれ、その悔しさから「一生懸命勉強して一番になってやる」と誓いました。その後必死で勉強し、サンパウロ州立大学(USP)の工学部に入学。学究生活を経てブラジル人でさえも難しいとされるUSP工学部教授となり半世紀もの間活躍しました。それ以外にも、現代ブラジルにおける水文学及び水理学を専攻する土木工学の権威者としてイプダムをはじめとする20世紀後半から建設されたブラジルの大規模な水力発電ダムの多くのプロジェクトに参加したほか、国連教育科学文化機関(UNESCO)のブラジル代表も努めました。1997年には大阪市立大学名誉博士の称号が授与されました。

文協会長在任中の2006年11月18日に新ブラジル民法が制定されたのに従い、文協の新定款を議決、この時名称に「福祉」が付け加えられ、現在の名称となりました。

また、同年に、高齢者に対する公的機関との事業活動の組織化と法的形式の提供を担当する「社会福祉委員会」を創立しました。合わせて「出稼ぎ子弟教育委員会」も創立され、一連の会議後に、様々な活動を仕組むISEC(教育文化連帯学会)の名のNPO(非営利団体)を創立しました。その1つは、一定の期間日本で育てられ、親と共にブラジルに戻った子どもたちを対象にした「カエルプロジェクト」です。これは、ブラジルへの社会および学校への順応を支援することを目的としており、ブラジル三井物産基金の支援を受けています。

また、それまで文協が運営していた日本語講座を1955年から日伯文化連盟へと引き渡し、道具、家具の全てを譲渡しました。

文協内で女性や若者の起用にも力を入れたことも、特筆すべき事柄です。2005年から秀島マルセロ氏を先頭に立て、若者たちによって「文化祭り」(旧「慈善バザー」)を運営するように仕向けました。結果、現在そのイベントは、文協の他の委員会も巻き込んだ文協を代表する一大イベントにまで成長しました。

もう1つ特筆すべき活動として、地方理事との関係や団体との交流を促進・強化を目的とした「文協統合フォーラム(FIB)」の開催が挙げられます。

それ以外に、2004年9月小泉純一郎内閣総理大臣(当時)が文協ビルに来館した折、約1500人を集めたて開催した文協大講堂での歓迎会挨拶において、グァタパラ移住地に関する話題に及んだ際思わず感涙、その出来事は日本でも報道されました。

2005年には、文協創立50周年を記念しm貴賓室に空調を完備しました。また文協本部および日本館において数々な記念イベントを行いました。

何より在任中の宿命として課せられたのは「ブラジル日本移民100周年記念」における様々な記念事業を成功に導くことでした。文協では2001年末に「日本移民100周年祭準備委員会」を創立しました。2003年9月には設立総会上原幸啓会長の指導の下「日本ブラジル移民百周年記念協会」が創立しました。当協会が提案した「日本移民百周年関連委員会」も創立しました。何より100周年記念式典を成功させるため、2度も日本を訪ねるなど、尽力しました。

ブラジル日本移民100周年記念が近づいた2006年には、文協ビルの利用者の安全性と快適さを考え「文協ビル改築特別委員会」を創設。レアール銀行、ヤクルト商工、ホンダ、日伯友好百周年基金を管理する日伯友好交流連合協会の支援を受け、文協ビルの改修に至りました。

2008年の100周年記念事業として「足跡プロジェクト」、展示会の「私たちひとりひとりの日本」、バイリンガル本の「目でみるブラジル日本移民の百年」、日本とブラジルでの写真巡回展、サンパウロ州教育局と共同企画した「ビーバ・ジャポン」プログラムへの参加等がありました。

当年6月20日には、文協ビルに徳仁皇太子陛下(当時)をお迎えするという大役をこなしました。

後にこの100周年記念事業について上原氏は「日系ブラジル人の自尊心を高めたため、それらのイベントが成功した」と語っています。

Diretoria

Presidente: Kokei Uehara (2003-2008)
1º Vice: Reimei Yoshioka (2003-2004); Takanori Sekine (2005-2006); Jorge Yamashita (2007-2008)
2º Vice: Tadayoshi Wada (2003-2004); Reimei Yoshioka (2005-2006); Toshihiko Tarama (2007-2008)
3º Vice: Osamu Matsuo (2003-2006); Sadao Kayano (2007-2008)
4º Vice: Eiji Denda (2003-2004); Marcelo Hiroyuki Hideshima (2005-2006); Kihatiro Kita (2007-2008)
5º Vice: Tomoko Higuchi (2003-2004); Miyoko Shakuda (2005-2006); Elzo Sigueta (2007-2008)
6º Vice: Akira Kawaai (2004); Luiz Yuki (2005-2006); Emilia Tanaka (2007-2008)
7º Vice: Marcelo Hiroyuki Hideshima (2004); Akio Ogawa (2005-2006); Marcelo Shiraishi (2007-2008)

Secretário Geral: Mario Massanori Iwamizu (2003-2004); Elzo Sigueta (2005-2006); Anacleto Seitetsu Hanashiro (2007-2008)
1º Secretário: Milton Sugahara (2003-2004); Anacleto Seitetsu Hanashiro (2005-2006); Hiroshi Komori (2007-2008)
2º Secretário: Seizi Oga (2003-2004); Akira Kawaai (2005-2006); Coji Yanaguita (2007-2008)
3º Secretário: Wilma Kiyoko Vieira da Motta (2003-2006)

Diretor Tesoureiro: Masamitsu Kawauchi (2003-2004); Eiji Denda (2005-2006); Oridio Kiyoshi Shimizu (2007-2008)
1º Tesoureiro: Mário Tadami Seó (2003-2004); Milton Sugahara (2005-2006); Gerson Shitoshi Fukanoki Kunii (2007-2008)
2º Tesoureiro: Harumi Arashiro Goya (2003-2008)
3º Tesoureiro: Kyoko Yanagida Nakagawa (2003-2004); Victor Kobayashi (2005-2006)

Diretor de Comunicação: Akio Ogawa (2003-2004); André Tatsuhiko Korosue (2005-2006); Victor Kobayashi (2007-2008)
Diretores de Esportes: Elzo Sigueta e Roberto Someya (2003-2004); Tomio Katsuragawa (2005-2006); Jorge Yuji Shimao (2007-2008)
Diretor de Planejamento e Orçamento: Marcelo Nagao (2004); Samuel Yoshio Buyo (2005-2006); Marcelo Hashimoto (2007-2008)
Diretor Cultural: Léo Sussumu Ota (2004-2008)
Diretor Social: Luiz Yuki (2004); Kyoko Yanagida Nakagawa (2005-2006); Júlia Takako Honda (2007-2008)
Diretora de Assistência Social: Kyoko Yanagida Nakagawa (2007-2008)

Diretores: Armando Kihara (2003-2004); Hiromi Tani (2003-2004); Osvaldo Yokomizo (2003-2004); Roberto Kunihiko Okinaka (2003-2006); Sumi Mizumoto (2003-2006); Tomio Katsuragawa (2003-2004) (2007-2008); Toru Iwasaki (2003); André Tatsuhiko Korosue (2004); Victor Kobayashi (2003-2004); Iossuke Tanaka (2005-2006); Tadayosi Wada (2005-2006); Tomoko Higuchi (2005-2006); Issui Takahashi (2007-2008); Marcelo Hiroyuki Hideshima (2007-2008); Yuho Morokawa (2007-2008); Yutaka Toyota (2007-2008)

Representantes Regionais: Giro Igarashi (2003-2004); Hanji Maki (2003-2008); Hélio Keiichi Mori (2003-2008); Jorge Ueno (2003-2005); Kosuke Ono (2003-2008); Kunio Fujisawa (2003); Masaki Nakamura (2003); Satoru Watanabe (2003-2004); Takumi Shimada (2003-2004); Tetsuo Kanno (2003-2008); Toshikazu Kawamura (2003-2004); Tsugugo Toma (2003-2004); Yasuhiro Yajima (2003-2004); Yoshiyuki Funada (2003-2006); Yukio Hatano (2003-2006); Masami Tashiro (2004-2008); Alberto Kenichi Sakakisbara (2005-2008); Jorge Yamawaki (2005-2008); Kazoshi Shiraishi (2005-2008); Kiyoji Nakayama (2005-2008); Luiz Hiroshi Nishimori (2005-2008); Tadayoshi Hanada (2005-2008); Yoshimi Shintaku (2005); Kazuhiro Mori (2006-2008); Roberto Yoshifumi Kawasaki (2006-2008); Akiyoshi Shikada (2007-2008); Getúlio Nishihata (2007-2008); Hiroshi Endo (2007-2008); Koremoto Murayama (2007-2008); Marcos Paulo Tiguman (2007-2008); Mario Katsumi Jisaka (2007-2008); Massaro Fugiy (2007-2008); Naya Baba (2007-2008); Roberto Mamoro Fujimoto (2007-2008); Toshiaki Honda (2007-2008); Toshiaki Yamamura (2007-2008); Toshio Koketsu (2007-2008)

Conselho Deliberativo

Presidente: Tuyoci Ohara (2003-2006); Kazuo Watanabe (2007-2008)
1º Vice: Hirofumi Ikesaki (2003-2006); Tuyoci Ohara (2007-2008)
2º Vice: Takeshi Honda (2003-2006); Masato Ninomiya (2007-2008)
3º Vice: Toshihiko Tarama (2003-2006); Wilma Kiyoko Vieira da Motta (2007-2008)
1º Secretário: Mituo Hirata (2003-2004); Kiyoshi Harada (2005-2008)
2º Secretário: Helena Naomi Mizumoto (2003-2006); André Tatsuhiko Korosue (2207-2008)
3º Secretário: Yoshio Kawano (2003-2006); Ricardo Kiyoshi Sasaki (2007-2008)

Secretário Geral Administrativo: Eduardo Goo Nakashima

第9代会長 岩崎秀雄 1999年4月~2003年3月

1922年3月1日生まれ東京都出身。神奈川県立川崎中学校を中退し1935年、家族と共にサンパウロ州リベイロン・プレットに入植、後にリオパルド・デ・サンタクルスで就労した。1937年に家族と共にサンパウロに移転。1940年サンパウロ日本国総領事館で就労を開始するも間もなく第二次世界大戦の勃発のために領事館は閉鎖となった。その後1945年から26年間ジュケリー農業組合(後の南ブラジル農産組合中央会)で就労し、1971年常任理事時代に組合を辞職し三井肥料株式会社に営業取締役として就任する。1977年には、専務取締役に就任し1985年の退職まで、多忙な日々を過ごした。その他サンパウロ日伯援護協会副会長時代に日伯友好病院建設副委員長、ブラジルゲートボール連盟副会長、1995にはブラジル東京都友会会長にも就任。

同氏が文協会長に就任したのは1999年の日系社会が移民史上最も難しい舵取を求められた時期であった。この時代になると会議の殆どがポルトガル語で行われるようになり、一世からは不満が続出、これに対し二世からはポルトガル語化は不可避との意見が出され、一世たちの文協離れが一気に起こった時代であった。

に平成10周年の記念事業にブラジル日系社会の代表として訪日しました。2000年には、懸案事項の戦後に焦点を当てた増床展示室の建設が、ブラジル日本移民史料館9階の戦後50年史常設展として落成式を迎えた。

◎2003年 日本政府より「勲四等旭日小綬章」授章

Diretoria

Presidente: Hideo Iwasaki (1999-2002)
1º Vice: Masato Ninomiya (1999-2002)
2º Vice: Toyohiro Shimura (1999-2002)
3º Vice: Mitsuo Nishime (1999-2002)
4º Vice: Yoichi Fukada (1999); Noboo Takahashi (2000-2002)
5º Vice: Minoru Ito (1999-2000); Kazusuke Nakamura (2001-2002)

Secretário Geral: Jorge Yamashita (1999-2002)
1º Secretário: Sadao Onishi (1999-2002)
2º Secretário: Kazusuke Nakamura (1999-2000); Shigeru Miyagui (2001-2002)
3º Secretário: Noboo Takahashi (1999); Juniti Miyahara (2000); André Ryo Hayashi (2001-2002)

Diretor Tesoureiro: Tetuya Fujimoto (1999-2000); Kihatiro Kita (2001-2002)
1º Tesoureiro: Eiji Tsuruga (1999-2000); Kenji Kiyohara (2001-2002)
2º Tesoureiro: Hitoshi Sakurai (1999-2000); Hiroshi Takahashi (2001-2002)
3º Tesoureiro: Kihatiro Kita (1999-2000); Takeshi Honda (2001-2002)

Diretor de Comunicação: Célia Abe Oi (1999); Noritaka Yano (2001-2002)

Diretor de Esportes: Toshio Chikaraishi (1999); Luiz Shimizu (1999-2000); Carlos Koji Takahashi (2001-2002); Takuma Suzuki (2001-2002)

Diretores: André Ryo Hayashi (1999-2000); Yoshimi Shintaku (1999-2002); Yukio Hatano (2001-2002); Setsuo Yamaguchi (2001-2002); Shigueru Miyagui (1999-2002); Shigueki Yamamoto (1999-2002); Shuichi Ikeda (1999-2000); Takumi Shimada (1999-2002); Tamio Fukushima (1999-2000); Tetsuo Kanno (1999-2002); Tomoko Higuchi (2001-2002); Toshio Enomoto (2001-2002); Toshiro Ishida (1999-2000); Toshiyukio Nukui (1999-2002); Kosuke Ono (2001-2002); Luiz Higashi (1999-2002); Marcelo Hiroyuki Hideshima (1999-2002); Masaki Nakamura (2001-2002); Masasuke Kuroki (1999-2000); Masumi Tsuchimoto (1999-2000); Matsuo Ebina (1999-2000); Noritaka Yano (1999-2000); Roberto Kunihiko Okinaka (2001-2002); Oscar Terada (1999-2002); Cláudio Kimura (1999-2002); Fumio Nakao (1999-2000); Giro Igarashi (1999-2002); Hanji Maki (2001-2002); Haruhiko Yamamoto (1999-2000); Ii-sei Watanabe (1999-2002); Jiro Nomura (2001-2002); Jorge Ishii (1999-2002); Jorge Massanori Miyahara (2001-2002); Juniti Miyahara (2001-2002)

Conselho Deliberativo

Presidente: Atushi Yamauchi (1999-2000); Kenitiro Suguio (2001-2002)
1º Vice: Paulo Yokota (1999-2002)
2º Vice: Osamu Matsuo (1999-2002)
3º Vice: Hirofumi Ikesaki (1999-2002)

1º Secretário: Tuyoci Ohara (1999-2002)
2º Secretário: Anacleto Seitetsu Hanashiro (1999-2002)
3º Secretário: Tsunehiro Uono (1999-2002)

Secretário Geral Administrativo: Senichi Adachi

第8代会長 山内淳 1991年4月~1999年3月

1931年9月20日生まれサンパウロ州アラサツーバ市出身。1959年、マッケンジ大学工学部電気科および土木科を卒業し、1984年にはアソシアダス・ド・イピランガ大学の会計科を卒業。1960年から1966年まで日立製作所サンパウロ駐在員事務所に勤務し、1973年、日本の協和電設と合弁でボビエル・キョウワ株式会社を設立、社長に就任。1990年からは同社の経営審議会会長に就任し現在に至る。

1957年の大学在学中から柔道スポーツ連盟とブラジル日本文化協会(文恊)に積極的に関与、文恊では長年にわたり委員や理事として活動し1991年、二世で初めて会長に就任し新時代へのスタートを切った。

対日系社会、対日本との交流、対ブラジル社会での活動、を3本柱として確立すべく、文恊の活動を見直す必要性を強調し将来計画委員会を設置。また急速に世代交代が進み年々低下傾向にあるといわれる日系団体の現状を打破するため、日系社会に内在する問題を討議する「日系団体代表者会議」開催を始め「サンパウロ市内の日系団体代表者会議」 「地域活性化巡回相談会」などを実施。1996年に開催した「全伯日系青年リーダー会議」は以降毎年開催されている。この一連の会議の結果が「全伯日系団体連合会」結成に繋がった。また日系団体が内包する諸問題に真正面から向き合った「出稼ぎ現象に関するシンポジウム」は大きな反響を呼び、二世、三世の日系社会離れや、出稼ぎ現象で空洞化する「日系社会の未来を考えるシンポジウム」の開催に繋がった。
その他、在任期間中に文恊内に初級日本語講座を開設。1996年橋本龍太郎内閣総理大臣の来伯時には、現在の日系社会が最も必要としているものとして日伯学園建設の必要性を訴えた。この学園構想に橋本総理は強い関心を示し、カルドーゾ大統領とのトップ会談の席上で総理がブラジル政府の協力を取り付けるなど、異例の対応によって急速に具体化へ向けて発進することとなった。

また1997年天皇皇后両陛下ご歓迎委員会委員長としてイビラプエラ体育館において盛大な歓迎式典を挙行、その重責を果たした。

◎2003年 日本政府より「勲四等瑞宝章」授章

Diretoria

Presidente: Atushi Yamauchi (1991-1998)
Presidente honorário: Masuichi Omi (1991-1998)
1º Vice: Hajime Sakaguchi (1991-1992); Masato Ninomiya (1993-1998)
2º Vice: Masato Ninomiya (1991-1992); Tetsuo Iocida (1993-1994); Iwao Katsuya (1995-1996); Toyohiro Shimura (1997-1998)
3º Vice: Kazuo Katayama (1991-1993); Izuho Taniguchi (1995-1996); Iwao Katsuya (1997-1998)
4º Vice: Izuho Taniguchi (1991-1994); Toyohiro Shimura (1995-1996); Koichiro Shinomata (1997-1998)
5º Vice: Katsumi Sanda (1991-1994); Alberto Tomita (1995-1996); Mitsuo Nishime (1997-1998)

Secretário Geral: Tomohiça Ogassavara (1991-1994); Mitsuo Nishime (1995-1996); Jorge Yamashita (1997-1998)
1º Secretário: Fumio Okamoto (1991); Ringo Kubota (1993-1994); Kazusuke Nakamura (1995-1996); Yoichi Fukada (1997-1998)
2º Secretário: Ringo Kubota (1991-1992); Sadao Onishi (1995-1996); Kazusuke Nakamura (1993-1994 e 1997-1998)
3º Secretário: Sadao Kayano (1991-1992); Sadao Onishi (1993-1994); Noboo Takahashi (1995-1998)

Diretor Tesoureiro: Mitsuo Nishime (1991-1994); Kihatiro Kita (1995-1998)
1º Tesoureiro: Kihatiro Kita (1991-1994); Tetsuya Fujimoto (1995-1998)
2º Tesoureiro: Kazusuke Nakamura (1991-1992); Décio Haniu (1993-1994); Takanobu Matsunaga (1995-1998)
3º Tesoureiro: Yukio Hiramatsu (1991-1992); Yutaka Koyama (1993-1994); Yoichi Fukada (1995-1996); Sadao Onishi (1997-1998)

Diretor de Comunicação: Emilio Matsumoto (1991-1998)

Diretores de Esportes: Yoshie Yogo (1991-1994); Seiti Sacay (1991-1992); Luiz Shimizu (1993); Toshio Chikaraishi (1995-1998); Yakihiro Watanabe (1995-1998)

Diretores: André Hayashi (1991-1998); Anselmo Nakatani (1991-1994); Chisato Murakami (1995); Eiro Ono (1991-1992); Fernando Takada (1995-1998); Fumiaki Suetsugu (1995); Fumio Nakano (1996-1998); Giro Igarashi (1991-1998); Hanji Maki (1997-1998); Hirofumi Goishi (1996); Hiroshi Ikuta (1996); Hugo Yoshiyasu (1996); Isao Fujikawa (1993-1993); Izuho Taniguchi (1997-1998); Jorge Saeki (1997-1998); Kamiyuki Nomura (1991-1992); Kanji Fujita (1995-1996); Kazuo Takahashi (1991-1992); Kenitiro Suguio (1995-1998); Kenji Oda (1992-1994); Kensho Yamada (1991); Kesayoshi Anze (1991-1992); Kioschi Sakai (199); Kiyoshi Hara (1995); Kohei Asakura (1993-1994); Koichiro Shinomata (1995-1996); Koji Hanada (1991-1994); Koji Osawa (1993-1997); Kokichi Yamamoto (1991-1992); Kosuke Ono (1995); Kyoji Ko (1991-1992); Luiz Higashi (1997-1998); Luiz Shimizu (1997-1998); Magosaburo Nanba (1995); Marcos Haniu (1995-1998); Masami Ito (1993-1994); Masao Fukushima (1992-1995); Masao Kakiuchi (1991-1992); Masumi Tsuchimoto (1997-1998); Minoru Enomoto (1991-1992); Minoru Ito (1997-1998); Mitsuo Jisaka (1997-1998); Mitsuo Kuroishi (1991-1994); Mitsuo Tsukada (1997-1998); Noboo Takahashi (1993-1994); Nobuyoshi Uchida (1991-1992); Nobuyuki Kuromoto (1993-1994); Noriaki Tsunaki (1996-1998); Osamu Iwashiro (1996-1997); Roberto Inoue (1995-1996); Roque Nishida (1995-1996); Sadao Kayano (1993-1994); Seiya Ishibashi (1991-1994); Shichiro Takeyoshi (1995-1996); Shigueki Yamamoto (1993-1998); Sueyuki Matsuo (1997-1998); Tadashi Kamitori (1991-1992); Tadashi Mitsumori (1993-1994); Takeshi Honda (1993-1994); Takeshi Suzuki (1991-1994); Takumi Shimada (1996-1998); Tamio Fukushima (1998); Tatsuo Suekane (1993-1994); Teisaku Numata (1991); Teishun Hiramatsu (1996-1998); Tetsuo Kanno (1993-1998); Tomokazu Imagawa (1991-1992); Toshio Kobayashi (1995-1996); Yoichi Fukada (1993-1994); Yoshifumi Utiyama (1991-1992); Yoshimi Shintaku (1998); Yukio Shiroto (1993-1994); Yutaka Toyota (1995-1996)

Conselho Deliberativo

Presidente: Tadashi Takenaka (1991); Kazuo Harazawa (1992 e 1995-1998); Masuichi Omi (1993-1994)
1º Vice: Kazuo Harazawa (1991 e 1993-1994); Katsumi Sanda (1995-1997)
2º Vice: Yoshihisa Takano (1991-1992); Hirofumi Ikesaki (1993-1994); Paulo Yokota (1995-1998)
3º Vice: Takeichi Wai (1991-1992); Ryuzo Doi (1993-1994); Hirofumi Ikesaki (1995-1998)

1º Secretário: Tuyoci Ohara (1991-1998)
2º Secretário: Mario Osassa (1991-1992); Seizi Oga (1993-1998)
3º Secretário: Masahiro Tisaka (1991-1992); Koichiro Hama (1993-1998)

Secretário Geral Administrativo: Senichi Adachi

第7代会長 尾身倍一 1983年3月~1991年3月

1921年7月5日生まれ東京都出身。1932年にブラジルに来伯、1949年まで農業に従事し、その後スブルバーナ産業組合に就職。1953年に農産物委託販売業・尾身兄弟商会を設立して事業家としての道を踏み出した。

1967年、サウージ文化体育協会を設立して会長に就任、1978年には、こどものその(身体障害児療養施設)の理事長に就任、同園本部建物および成人寮の建設を成し遂げ恒常的に財政難にあった同園の経営安定化を図るため運営基金の設定を提案しその実現に尽力した。こうした実力と財政面での実績が日系社会で高く評価され、1969年以来文協会の理事を歴任、1983年には文協7代目会長に就任した。

就任後は全伯の日系団体との連携を強化するため、全伯日系団体代表者会議の開催を提議、1984年に室内体育館と駐車場を含む別館(小講堂、図書館、展示室)を建設するため委員会を結成。日本とブラジル日系企業の財政支援を受け1987年に室内体育館、1988年には別館と駐車場など、すべての施設が完成した。

また、在任中の1986年の常陸宮同妃両殿下御来伯時および、1988年のブラジル日本移民80年祭における礼宮殿下をはじめ福田赳夫元総理大臣等の日本政財界の有力者、ブラジル側よりジョゼ・サルネイ大統領など多数の来賓を迎えた折は祭典委員長としてその重責を果たした。1989年昭和天皇の「大喪の儀」には、海外日系人代表として参列した。

◎1983年 サンパウロ州政府より「イピランガ章(社会福祉部門功労者章)」授章

◎1993年 日本政府より「勲四等瑞宝章」授章

Diretoria

Presidente: Masuichi Omi (1983-1990)
Presidente honorário: Guenitiro Nacazawa (1983-1984); Shiniti Aiba (1989-1990)
1º Vice: Gervásio Tadashi Inoue (1983-1986); Tsuyoshi Mizumoto (1987-1988); Atushi Yamauchi (1989-1990)
2º Vice: Tsuyoshi Mizumoto (1983-1986 e 1989-1990); Kioschi Sakai (1987-1988)
3º Vice: Ichiro Muto (1983-1986); Koji Hanada (1987-1988); Kioschi Sakai (1989-1990)
4º Vice: Kioschi Sakai (1983-1986); Kazuo Katayama (1987-1988); Koji Hanada (1989-1990)
5º Vice: Teruo Wakabayashi (1983-1986); Masahiro Seno (1987-1988); Kazuo Katayama (1989-1990)

Secretário Geral: Atushi Yamauchi (1983-1988); Ruy Kikuty (1989-1990)
1º Secretário: Yasuo Yamamoto (1983-1986); Tomohiça Ogassavara (1987-1990)
2º Secretário: Ruy Kikuty (1983-1984 e 1987-1988); Tomohiça Ogassavara (1985-1986); Fumio Okamoto (1989-1990)
3º Secretário: Tomohiça Ogassavara (1983-1984); Konosuke Ozeki (1985-1986); Walter Yukio Tamura (1987-1988); Ringo Kubota (1989-1990)

Diretor Tesoureiro: Koji Hanada (1983-1986); Kiyoshi Kawazoe (1987-1988); Kihatiro Kita (1989-1990)
1º Tesoureiro: Masayuki Sato (1983-1984); Fumiaki Watanabe (1985-1986); Toshiro Kobayashi (1987-1988); Mitsuo Nishime (1989-1990)
2º Tesoureiro: Toshio Watanabe (1983-1984); Toshiro Kobayashi (1985-1986); Makoto Sakai (1987-1988); Katsumi Sanda (1989-1990)
3º Tesoureiro: Fumiaki Watanabe (1983-1984); Makoto Sakai (1985-1986); Motochika Kobori (1987-1988); Kazusuke Nakamura (1989-1990)

Diretores de Esportes: Yoshie Yogo (1985-1990); Walter Yukio Tamura (1985-1986); Seiti Sacay (1987-1990)

Diretores: Fujio Tachibana (1983-1990); Tosio Tomimori (1983-1990); Ioshifumi Utiyama (1983-1990); Michimasa Betsuyaku (1983-1990); Takashi Goto (1983-1988); Hideo Iwasaki (1983-1988); Konosuke Ozeki (1983-1984 e 1987-1988); Masahiro Seno (1983-1986 e 1989-1990; Walter Yukio Tamura (1983-1984); Yataro Amino (1983-1990); Mosei Yabiku (1983-1984); Katsuji Kitaguchi (1983-1986); Fumio Oura (1983-1984); Takeo Matsunaga (1983-1984); Arata Suguimori (1983-1984); Makoto Furuya (1983-1984); Toshio Yamada (1983-1988); Hirobumi Mikami (1983-1984); Ichizo Okino (1983-1984); Chushiro Sato (1983-1984); Juntaro Mizushima (1983-1984); Shigueki Yamamoto (1983-1988); Iwao Ito (1983-1988); Yoshio Okamura (1983-1984); Saburo Nakasu (1983-1984); Tatsuo Suekane (1983-1990); Ruy Kikuty (1985-1986); Taiji Takemoto (1985-1988); Aisaku Oguimi (1985-1986); Masayasu Oogawara (1985-1986); Kichiro Konno (1985-1988); Masayuki Maeda (1985-1986); Yukio Yamashita (1985-1986); Chushiro Ito (1985-1986); Yoshio Maeyama (1985-1990); Osami Sakamori (1985-1986); Masao Igarashi (1985-1986); Fumio Okamoto (1987-1988); Suehiro Kano (1987-1990); Hiroshi Ueno (1987-1988); Ikuo Okino (1987-1988); Yoshio Kawakami (1987-1990); Kazutoshi Sakakibara (1987-1988); Giro Igarashi (1987-1990); Joji Yamawaki (1987-1988); Teisaku Numata (1987-1990); Hajime Sakaguchi (1989-1990); Takeshi Suzuki (1989-1990); Anselmo Nakatani (1989-1990); Jiroku Ariki (1989-1990); Tadashi Suguimoto (1989-1990); Toshio Furuya (1989-1990); Katsutoyo Ito (1989-1990); Kiyoshi Minami (1989-1990); Toshio Yamada (1989-1990); Yoshiyuki Yamaguchi (1989-1990); Wataru Ishibashi (1989-1990); Kensho Yamada (1989-1990).

Conselho Deliberativo

Presidente: Shiniti Aiba (1983-1988); Tadashi Takenaka (1989-1990)
1º Vice: Tadashi Takenaka (1983-1988); Kazuo Harazawa (1989-1990)
2º Vice: Katuki Nishimura (1983-1988);Yoshihisa Takano (1989-1990)
3º Vice: Kazuo Harazawa (1983-1988); Takeichi Wai (1989-1990)

1º Secretário: Shigueo Kamogawa (1983-1984); Tuyoci Ohara (1985-1990)
2º Secretário: Tuyoci Ohara (1983-1984); Tomozo Hinoue (1985-1988); Mário Osassa (1989-1990)
3º Secretário: Tomozo Hinoue (1983-1984); Toshikazu Sakon (1985-1988); Maçahiko Tisaka (1989-1990)

Secretário Geral Administrativo: Senichi Adachi

第6代会長 相場真一 1979年4月~1983年2月

1908年2月17日生まれ北海道出身。小樽高商を卒業後、1930年に家族と共に農業移住し、アリアンサ移住地(現在サンパウロ州北西部)の富山移民組合で2年間就労。1933年ポルトガル語を学ぶ目的で出聖、1934年に創立間もないブラジル拓殖組合(ブラ拓)の宮坂専務理事の誘いでブラ拓に就職、1938年にはサンパウロ本部経理部長に就任した。1947年からは南米銀行へ転出し銀行の再建に献身。以後、財務取締役、副頭取を経て南米銀行グループ経営審議会会長、南米安田保険株式会社社長を歴任した。

1979年に文協第6代会長に就任すると、文恊が日系社会の中心的機関であるにもかかわらず会員数が少なすぎるとし全伯の日系文化団体の会員加入促進運動を展開、名実共に日系社会の代表代表機関を目指した。その結果、任期中に会員数は目標の5000人に達し、文恊の財政健全化もに大きく寄与した。

相場会長が任期中に情熱を持って取り組んだ構想に、総合スポーツセンター建設計画がある。その目的は、日系団体の世代交代に伴いスポーツ活動の導入によって二世、三世層に文協活動を認識させ、優秀な後継者を育成することにあった。相場会長は用地購入資金を捻出するため、同氏の10万平方メートルに及ぶ所有地を寄贈している。ただ、スポーツセンター建設計画を発表するに当たり「日系社会は常時なさなければねらない大事業を持つべきだ」と日系社会活性化論を力説したが、最悪なブラジル経済の状況下にあって、その建設計画の着工までには至らなかった。

会長在任中には「浩宮殿下歓迎委員会」「鈴木善幸総理大臣歓迎委員会」の委員長としてその大役を果たした。1983年、二期四年務めて退陣した相場会長の誠実さと人望から、定款を改正して続けて欲しいという強い要望が出たが「常に代わっていく体質が文協のために良い」として固辞した。

◎1980年 サンパウロ州政府より「オールデン・ド・イピランガ章」授与

◎1986年 日本政府より「勲三等瑞宝章」授与

Diretoria

Presidente: Shiniti Aiba (1979-1982)
Presidente honorário: Guenitiro Nacazawa (1979-1980)
1º Vice: Gervásio Tadashi Inoue (1979-1982)
2º Vice: Masuichi Omi (1979-1982)
3º Vice: Tsuyoshi Mizumoto (1979-1982)
4º Vice: Tosio Tomimori (1979-1982)
5º Vice: Katuki Nishimura (1979-1982)

Secretário Geral: Hiroshi Banno (1979-1982)
1º Secretário: Toshiyuki Nakamura (1979-1980); Atushi Yamauchi (1981-1982)
2º Secretário: Takuji Fujii (1979-1980); Kioschi Sakai (1981-1982)
3º Secretário: Atushi Yamauchi (1979-1980); Kenjiro Natori (1981-1982)

Diretor Tesoureiro: Ichiro Muto (1979-1982)
1º Tesoureiro: Hajime Sakaguchi (1979-1982)
2º Tesoureiro: Akira Ogawa (1979-1980); Masayuki Sato (1981-1982)
3º Tesoureiro: Masayuki Sato (1979-1980); Tamotsu Yamaguchi (1981-1982)

Diretores: Fujio Tachibana (1979-1982); Kunihiro Miyamoto (1979-1982); Ioshifumi Utiyama (1979-1982); Hiroshi Saito (1979-1982); Mosei Yabiku (1979-1982); Konosuke Ozeki (1979-1982); Walter Yukio Tamura (1979-1982); Ruy Kikuty (1979-1982); Kioschi Sakai (1979-1980); Hideo Iwasaki (1979-1982); Susumu Miyao (1979-1980); Takashi Goto (1979-1982); Taiji Takemoto (1979-1982); Katsuji Kitaguchi (1979-1982); Kenryo Doi (1979-1980); Teruo Wakabayashi (1979-1982); Shunichi Yoshinaga (1979-1980); Chushiro Sato (1979-1982); Michimasa Betsuyaku (1979-1982); Kenichi Honjo (1979-1980); Shinji Muramatsu (1979-1980); Juntaro Mizushima (1979-1982); Jiro Shimanoe (1979-1982); Yoshijiro Matsumura (1979-1982); Teruo Yorinori (1979-1982); Toshinobu Katayama (1979-1980); Yasuo Yamamoto (1981-1982); Toshiya Katsuda (1981-1982); Naoji Takeuchi (1981-1982); Kazuo Sakamaki (1981-1982); Kazutoshi Sakakibara (1981-1982); Yoshio Okamura (1981-1982); Eikichi Sakaguchi (1981-1982)

Conselho Deliberativo

Presidente: Tadashi Takenaka (1979-1982)
1º Vice: Kazuo Harazawa (1979-1982)
2º Vice: Yoshihisa Takano (1979-1982)
3º Vice: Seiwa Hanashiro (1979-1982)

1º Secretário: Kiyoshi Kawazoe (1979-1982)
2º Secretário: Shigueo Kamogawa (1979-1982)
3º Secretário: Tuyoci Ohara (1979-1982)

Secretário Geral Administrativo: Senichi Adachi

第5代会長 中沢源一郎 1975年4月~1979年3月

1907年5月23日生まれ高知県出身。東京大学文学部教育学科を卒業後、高知県立第二中学に英語の教師として奉職するも1933年に渡伯。

1934年から1939年まで、サンパウロ州ジュケリ(現在マイリポラン)で農業に従事するなか、乞われて日本語学校の教師を半日務め、半日農耕という生活を続けた。1939年、ジュケリ農産組合(1954年から南ブラジル農業協同組合中央会と改称)の専務理事に就任し、1973年まで在任、以後1984年に永眠するまで、理事長の要職にあたった。紛糾の絶えなかった同組合の再建を託された専務理事時代、組合の再建を見事に成し遂げただけに留まらず、ブラジル有数の農業組合へと発展させることに成功した。この大組織をバックに日系社会の最高指導者として活躍することになる。しかし中沢本人は日系社会の表舞台に出ることを極力避け組合の経営に専念していたが南伯農協の発展と共にその実力と人柄が認められることとなり、表舞台に登場せざるを得なくなったのである。こうして1954年、サンパウロ市創立400年祭協力委員会とサンパウロ日本文化協会(文恊)創立準備委員会の活動に参加、1975年には文協第5代会長に就任した。一方、創立間もない日本移民援護協会(後のサンパウロ日伯援護協会)の会長として、1961年から75年の文協会長に就任するまでの14年間、日系社会の福祉事業の基礎づくりに粉骨砕身したことも特筆する。

文協会長として二期四年の間には、ブラジル日本移民70年祭典とその記念事業のブラジル日本移民史料館の建設、それに伴う文化センター4階~8階の建て増しという大事業を中心になって完遂させた。
会長辞任後は文協、援協共に名誉会長に推戴、日系社会の最高指導者としての功績は高く評価されている。

1984年の逝去の折、組合葬が南伯中央会本部で盛大に挙行され、文協大講堂で挙行された初七日記念会には千人が参列した。

◎1979年 日本政府より「勲三等旭日章」授与

◎1980年 サンパウロ州政府より「産業組合功労章」授与

◎1980年 ブラジル農業界、文化福祉事業への貢献が認められ連邦政府より「南十時星勲章」授与

◎1982年 連邦政府より「国家農業功労章」授与

◎1983年 講談社より「吉川英治文化賞」授与

Diretoria

Presidente: Guenitiro Nacazawa (1975-1978)
Presidente honorário: Kunito Miyasaka (1975-1976)
1º Vice: Fujio Tachibana (1975-1978)
2º Vice: Tadashi Takenaka (1975-1978)
3º Vice: Gervásio Tadashi Inoue (1975-1978)
4º Vice: Kunihiro Miyamoto (1975-1978)
5º Vice: Ioshifumi Utiyama (1975-1978)

Secretário Geral: Hiroshi Banno (1975-1978)
1º Secretário: Motosuke Fujii (1975-1978)
2º Secretário: Hiroshi Saito (1975-1978)
3º Secretário: Takuji Fujii (1975-1978)

Diretor Tesoureiro: Shinichi Sasatani (1975-1976); Ichiro Muto (1977-1978)
1º Tesoureiro: Yoshikazu Tanaka (1975-1978)
2º Tesoureiro: Masuichi Omi (1975-1978)
3º Tesoureiro: Ren Usami (1975-1976); Toru Itoh (1977-1978)

Diretores: Shuichiro Wada (1975-1978); Atushi Yamauchi (1975-1978); Tosio Tomimori (1975-1978); Mosei Yabiku (1975-1978); Tsuyoshi Mizumoto (1975-1978); Susumu Miyao (1975-1978); Walter Yukio Tamura (1975-1978); Takashi Goto (1975-1978); Sadami Mine (1975-1978); Tsukane Tanaka (1975-1978); Yasushi Nishida (1977-1978); Kazumitsu Kato (1975-1978); Kazuo Nagai (1975-1976); Kenji Neguishi (1975-1976); Naoji Takeuchi (1975-1976); Teruo Wakabayashi (1975-1978); Yoshijiro Muramatsu (1975-1978); Teruo Yorinori (1977-1978); Michimasa Betsuyaku (1975-1978); Hiroshi Kato (1975-1976); Shinji Muramatsu (1975-1978); Konosuke Ozeki (1975-1978); Juntaro Mizushima (1975-1978); Jiro Shimanoe (1975-1978); Tsuyoshi Ogawa (1975-1976); Katsuji Nishiyama (1975-1976); Toshinobu Katayama (1975-1978); Toru Itoh (1975-1976); Iwao Kimura (1977-1978); Junichi Shigueno (1977-1978); Pedro Miyahira (1977-1978); Chushiro Sato (1977-1978); Shinichi Sasatani (1977-1978)

Conselho Deliberativo

Presidente: Katuki Nishimura (1975-1978)
1º Vice: Shunzo Ikemori (1975-1978)
2º Vice: Kazuo Harazawa (1975-1978)
3º Vice: Yoshihisa Takano (1975-1978)

1º Secretário: Shoji Ueno (1975-1978)
2º Secretário: Seiwa Hanashiro (1975-1978)
3º Secretário: Tosui Akiyama (1975-1978)

Secretário Geral Administrativo: Senichi Adachi

第4代会長 延満三五郎 1971年4月~1975年3月

1909年8月8日生まれ広島県出身。神戸高商(現 神戸大学)卒業後1933年に鐘紡(後のカネボウ株式会社)に入社、以降南米各国での綿の輸出業務に携わる中で、ブラジルとの関係が始まった。

戦後、ニューヨーク鐘紡社長時代に、本社からブラジルに鐘紡工場創設の指令を受け1954年に来伯、社長として多忙な日々を送るなか、日系社会との関わりを深めていった。戦後進出企業の代表としてはじめて文協の活動に参加、その後第2会計理事、第1常任理事、第1副会長と歴任し、歴代会長を補佐してきた。

第4代会長に選ばれた延満は、特に文化事業の充実に力を注ぎ、美術、音楽、生け花の各委員会を組織して積極的に文化事業を推進した。1970年に文協工芸委員会を設置し開催した「工芸展」は、美術展と共に高く評価され文協の文化事業の一環として毎年続けられている。また、1972年に、ブラジル独立150年祭日系協力委員会を発足、委員長として「第1回国際民族舞踊大会」を開催。これには11カ国の参加を得て大成功を収め今では文恊の目玉事業の1つとなっている。また、150年祭の記念業事として、それまで中断されていた聖美会主催のコロニア展を「サロン文恊」として再発足させたことは特筆すべきことである。それ以外にも、皇太子御夫妻(当時)の肖像画奉掲、田中義一総理大臣一行の歓迎会、絵画教室の設置、生け花展、蘭展などを開催し、ブラジル社会にも参加を呼びかけ、日伯交流に大きな成果をあげた。

◎1965年 サンパウロ州政府より工業面の功績を称えられ「ブリガデイロ・ジョゼ・ビエラ・コート・デ・マガリャンエス功労章」授与

◎1980年 文協創立25周年記念に際し州政府より「オールデン・ド・イピランガ章」授与

◎1980年 日本政府より「藍綬褒章」授与

◎1981年 日本政府より「勲四等瑞宝章」授与

Diretoria

Presidente: Sangoro Nobumitsu (1971-1974)
Presidente honorário: Kunito Miyasaka (1971-1972)
1º Vice: Tadashi Takenaka (1971-1974)
2º Vice: Kunihiro Miyamoto (1971-1974)
3º Vice: Gervásio Tadashi Inoue (1971-1974)
4º Vice: Ioshifumi Utiyama (1971-1974)
5º Vice: Fujio Tachibana (1971-1974)

Secretário Geral: Atushi Yamauchi (1971-1974)
1º Secretário: Shuichiro Wada (1971-1974)
2º Secretário: Motosuke Fujii (1971-1974)
3º Secretário: Shinichi Sasatani (1971-1972); Rinji Nagashima (1973-1974)

Diretor Tesoureiro: Rinji Nagashima (1971-1972); Shinichi Sasatani (1973-1974)
1º Tesoureiro: Yoshikazu Tanaka (1971-1974)
2º Tesoureiro: Katuki Nishimura (1971-1974)
3º Tesoureiro: Masuichi Omi (1971-1974)

Diretores: Isao Konno (1971-1972); Takashi Goto (1971-1974); Hiroshi Saito (1971-1974); Tsunezo Sato (1971-1974); Shiro Endo (1971-1972); Mosei Yabiku (1971-1974); Tosio Tomimori (1971-1974); Takuji Fujii (1971-1974); Takeshi Matsuo (1971-1974); Naoji Takeuchi (1973-1974); Fumio Oura (1971-192); Iwao Motomura (1971-1972); Kinju Wada (1971-1972);Teruo Wakabayashi (1971-1974); Yoshijiro Muramatsu (1971-1974); Caio Mori (1971-1972); Michimasa Betsuyaku (1971-1972); Hideo Nasuno (1971-1972); Matazo Kuroda (1971-1974); Hiroshi Kato (1971-1972); Juntaro Mizushima (1971-1974); Jiro Shimanoe (1971-1974); Mitomu Shimomura (1971-1972); Paulo Okamoto (1971-1974); Takemori Oshiro (1971-1972); Setsu Kaimiyama (1973-1974); Tsuyoshi Mizumoto (1973-1974); Susumu Miyao (1973-1974); Toshiya Katsuda (1973-1974); Norio Arimura (1973-1974); Kenji Neguishi (1973-1974); Katsuzo Matsutani (1971-1972); Shusaku Yamamoto (1973-1974); Chushiro Sato (1973-1974); Tsuyoshi Shimomura (1973-1974); Hiroshi Banno (1971-1974); Toshinobu Katayama (1973-1974)

Conselho Deliberativo

Presidente: Guenitiro Nacazawa (1971-1974)
1º Vice: Seibin Takahashi (1971-1974)
2º Vice: Takeshi Yoshio (1971-1974)
3º Vice: Masao Aikawa (1971-1974)

1º Secretário: Hideo Kawauchi (1971-1974)
2º Secretário: Sadami Mine (1971-1974)
3º Secretário: Kazuo Harazawa (1971-1974)

Secretário Geral Administrativo: Senichi Adachi

第3代会長 宮坂国人 1965年3月~1971年3月

1889年7月15日生まれ長野県出身。神戸高商(現 神戸大学)在学中、関西財界の大立者で文部大臣も務めた平生釟三郎の家に家庭教師として寄宿。そのことが後の彼の人生に大きな影響を与えることとなった。
宮坂は平生の紹介で東洋移民合資会社に入社、直ちに移民を引き連れてペルーへ渡り1913年~1919年までペルーを本拠地として仕事をしている。この頃宮坂が編集責任者となって邦字新聞”アンデス時報”を発行。これがラテンアメリカ最初の邦字新聞だと言われている。

1927年海外移住組合連合会が設立され、31年に平生釟三郎が会長・理事長に就任すると同時に、宮坂は専務理事に抜擢された。有限責任ブラジル拓殖組合(ブラ拓)が設立されると、この現地機関ブラ拓の専務理事として1932年に着伯。

まず手掛けたのは、チエテ(現ペレイラ・バレット)、バストス、アリアンサ、トレス、バラス(現アサイ)4移住地の経営で、総面積約8万ヘクタールに諸施設を建設し、営農指導を行って移住者を定着させることを目的とした。

1937年、日南産業株式会社が設立され、会長に平生釟三郎、専務取締役に宮坂国人が就任。ブラ拓の専務理事を兼務して移住事業と関連事業を推進し、やがて南米銀行の前身“ブラ拓銀行部”が発足、1940年南米銀行が設立された。

サンパウロ日本文化協会の設立に当っては、山本喜誉司氏と共に世話役として日系社会の世論調整に務めた。市制400年祭典協力委員会の解散に先立って発表された「サンパウロ日本協会(仮称)設立準備趣意書」は山本、宮坂両氏の名前で公表されたものである。

1965年、第3代文恊会長に任命された後、日系社会の文化活動を行うために「100万コント基金」を設定、大講堂の建設、日語普及とモデル校の創立、と言う宮坂構想を提唱した。宮坂がこの基金を設定したのは、日系社会の文化活動には資金が必要であることを痛感したからである。また、この基金によって文協の活動をサンパウロ州中心から、全伯を対象にすることも視野に入れていた。

1967年、皇太子同妃両殿下の御来伯は日系社会を興奮の渦に巻き込み、皇太子御夫妻の歓迎募金は予定額をはるかに超した。その余剰金の使途について、歓迎委員会解散総会で討論され、投票による多数決でこれを基に「皇太子殿下ご来伯記念大講堂」を建設することに決定。それに日系社会からの募金、日本政府からの補助金を合わせ、大講堂の落成式は1970年9月、宮坂の手によって行われた。
1972年、公職から身を引き日本へ帰国した宮坂だったが、74年に再び終焉の地ブラジルの地を踏んだ。1977年膵臓がんのため永眠。葬儀は南米銀行本店講堂のロビーで厳粛に挙行された。

◎1958年 日本政府より「勲五等旭日章」授与

◎1967年 日本政府より「勲三等旭日章」授与

◎1968年 連邦政府より「南十時星勲章」授与

◎1977年 日本政府より故人の功績に対する「勲二等瑞宝章」追叙 

Diretoria

Presidente: Kunito Miyasaka (1965-1970)
1º Vice: Gervásio Tadashi Inoue (1965-1966); Sangoro Nobumitsu (1967-1970)
2º Vice: Sangoro Nobumitsu (1965-1966); Kunihiro Miyamoto (1967-1968); Tadashi Takenaka (1969-1970)
3º Vice: Susumu Hirata (1965-1966); Gervásio Tadashi Inoue (1967-1968); Kunihiro Miyamoto (1969-1970)
4º Vice: Gervásio Tadashi Inoue (1969-1970)
5º Vice: Ioshifumi Utiyama (1969-1970)

Secretário Geral: Tadashi Takenaka (1965-1968); Isao Kono (1969-1970)
1º Secretário: Hiroshi Saito (1965-1966); Toshio Tsukumo (1967-1968); Shuichiro Wada (1969-1970)
2º Secretário: Teiiti Suzuki (1965-1966); Katsuzo Yamamoto (1967-1968); Motosuke Fujii (1969-1970)
3º Secretário: Toshio Tsukumo (1965-1966); Shuichiro Wada (1967-1968); Shinichi Sasatani (1969-1970)

Diretor Tesoureiro: Rinji Nagashima (1969-1970)
1º Tesoureiro: Rinji Nagashima (1965-1968); Fujio Tachibana (1969-1970)
2º Tesoureiro: Minoru Harada (1965-1966); Shiniti Aiba (1967-1968); Katuki Nishimura (1969-1970)
3º Tesoureiro: Seian Hanashiro (1965-1968); Masuichi Omi (1969-1970)

Diretores: Katsuzo Yamamoto (1965-1966); Fumio Oura (1969-1970); Tsunezo Sato (1965-1970); Cho Kihara (1965-1968); Américo Sugai (1965-1966); Diogo Nomura (1965-1968); Takeshi Yoshio (1965-1968); Ioshifumi Utiyama (1965-1968); Suichiro Wada (1965-1966); Yoshikazu Tanaka (1965-1970); Tokiya Washizuka (1965-1966); Kunihiro Miyamoto (1965-1966); Fujio Tachibana (1965-1968); Takeshi Suzuki (1967-1968); Hiroshi Saito (1967-1970); Susumu Hirata (1967-1968); Shinichi Sasatani (1967-1968); Teiiti Suzuki (1967-1968); Ikuzo Hirokawa (1967-1968); Takashi Goto (1969-1970); Toshio Tsukumo (1969-1970); Shiro Endo (1969-1970); Mosei Yabiku (1969-1970); Tosio Tomimori (1969-1970); Yutaka Sanematsu (1969-1970); Atushi Yamauchi (1969-1970); Sukeo Sacai (1969-1970); Guenitiro Nacazawa (1965-1968); Iwao Kimura (1969-1970); Yutaka Yamamoto (1969-1970); Kinju Wada (1969-1970); Shigueru Nishikawa (1969-1970); Yoshinobu Obori (1969-1970); Shusaku Yamamoto (1969-1970); Matazo Kuroda (1969-1970); Chushiro Sato (1969-1970); Juntaro Mizushima (1969-1970); Hidekazu Nakaya (1969-1970); Mitomu Shimomura (1969-1970); Katsuzo Fujiwara (1969-1970); Takemori Oshiro (1969-1970)

Conselho Deliberativo

Presidente: Kumaki Nakao (1965-1968); Guenitiro Nacazawa (1969-1970)
1º Vice: Takeo Goto (1965-1968); Seian Hanashiro (1969-1970)
2º Vice: Senichi Hachiya (1965-1968); Masao Aikawa (1969-1970)
3º Vice: Shiguetoshi Takahashi (1969-1970)

1º Secretário: Hideto Futatsugi (1965-1966); Michie Akama (1967-1968); Hideo Kawauchi (1969-1970)
2º Secretário: Shizuo Hosoe (1965-1966); Hideto Futatsugi (1967-1968); Shizuka Miyake (1969-1970)
3º Secretário: Keijiro Jojima (1965-1966); Shizuo Hosoe (1967-1968); Sadami Mine (1969-1970)

Secretário Geral Administrativo: Takuji Fujii (1965-1968); Senichi Adachi (1969-1970)

第2代会長 中尾熊喜 1963年8月~1965年2月

1900年1月24日生まれ熊本県出身。1914年、14歳の時坂上重次の形式家族として渡伯。1927年下元憲吉らと共にコチア産業組合を創立、初代専務理事を務めた。

のちに組合から離れ、肥料商・肥料作りへと農業から商工業への転換を図り「カナカオ化学工業株式会社」を設立。特筆すべき事として、同社が日本人移民による初の株式会社であったことと、従業員ならびにその子弟のための学校を創立し学費を無料としたほか、子弟や社員の進学には学費を補助するなど、従業員に対する無償の愛が施されたという点だ。

それ以外にも、都市へ出てくる農村出身の青年達を助ける機関として設立されたイーテン機会製作所への出資、進学希望者に対する学生寮建設運動を展開していた力行会への寄付、戦後復興期の郷里・横島村へ寄付および奨学制度を設けるよう依頼し約束どおり10年間に亘って計三百万円を送り続けた。これら全ては、自分が果たせなかった進学の夢を、果たせずにいる人達の手助けをしたいという一念であった。

1955年「聖市四百年祭典日本人会協力会」の解散式がそのままサンパウロ日本文化協会創立準備委員会に切り替えられた時、中尾は「創立総会準備委員会」15名の筆頭に選ばれ、創立総会では総務として議長を務めた。この準備委員会がそのまま理事会となり、山本喜誉司会長の指示で副会長に就任。1963年の会長の逝去を受けて、第2代会長に選出されてからは文化センターの建設に全力をあげて日本文化センター第1期工事を完了させた。会長を退いた後は、評議委員会会長を務め、1975年逝去するまで常に他者のために活動する多忙な日々を送った。

◎1969年 日本政府より「勲三等瑞宝章」授章

Diretoria

Presidente: Kumaki Nakao (7/1963-12/1964)

2º Vice: Guenichiro Nakazawa (7/1963-12/1964)

3º Vice: Gervásio Tadashi Inoue (7/1963-12/1964)

Secretário Geral: Tadashi Takenaka (7/1963-12/1964)

1º Secretário: Sangoro Nobumitsu (7/1963-12/1964)

2º Secretário: Susumu Hirata (7/1963-12/1964)

3º Secretário: Hiroshi Saito (7/1963-12/1964)

1º Tesoureiro: Tokiya Washizuka (7/1963-12/1964)

2º Tesoureiro: Shuichiro Wada (7/1963-12/1964)

3º Tesoureiro: Takeshi Yoshio (7/1963-12/1964)

Diretores: Yoshikazu Tanaka (7/1963-12/1964); Cho Kihara (7/1963-12/1964); Ioshifumi Utiyama (7/1963-12/1964); Takeshi Suzuki (7/1963-12/1964); Teiiti Suzuki (7/1963-12/1964); Tsunezo Sato (7/1963-12/1964); Senichi Hachiya (7/1963-12/1964); Toshio Tsukumo (7/1963-12/1964); Américo Sugai (7/1963-12/1964)

Conselho Deliberativo

Presidente: Kunito Miyasaka (7/1963-12/1964)

1º Vice: Takeo Goto (7/1963-12/1964)

2º Vice: Shizuo Hosoe (7/1963-12/1964)

1º Secretário: Hideto Futatsugi (7/1963-12/1964)

2º Secretário: Kunihiro Miyamoto (7/1963-12/1964)

3º Secretário: Fujio Tachibana (7/1963-12/1964)

Secretário Geral Administrativo: Takuji Fujii

初代会長 山本喜誉司 1955年12月~1963年7月

1892年9月17日生まれ東京都出身。東京帝国大学農学部卒業後、三菱合資会社に入社。社長の岩崎久弥から海外での農場経営の任務を与えられ、中国北京にて綿花事業に携わった後1926年にはコーヒー栽培事業のためブラジルに派遣された。1927年にカンピーナスに農場を購入、岩崎彌太郎の号を用いて東山農場と命名。農場経営に専念する中、ユーカリ植林や牧牛の改良に実績をあげるとともに、コーヒーの木を害虫被害から守るための天敵ウガンダ蜂の導入で成功を収め、この研究論文で東京大学から博士号を授与された。その後、東山事業の総支配人に昇任。

1941年太平洋戦争が勃発すると、東山事業は敵国人資産として資産凍結令の適用を受け経営権が連邦政府の任命する清算担当官の手に移った。戦後、資産凍結解除運動では山本が陣頭に立って有力者を網羅した「懇談会」を結成し、政局打開に努めた。また日本の敗戦による日系社会の混乱を収拾するため、日系有力者の間で展開された“時局認識運動”にも参加、この運動がやがて母国に対する戦災救済会の結成に繋がり、日系社会が団結する気運をも盛り上げた。

1952年のサンパウロ市制400年祭協力委員会の発足と共にその委員長として日系社会の先頭に立った山本は、これを機にカチ・マケ抗争で分裂状態にあった日系社会のまとめ役としての行動を開始。翌年の同祭協力委員会解散において新たにサンパウロ日本文化協会を創立させた山本は、名実共に日系社会のリーダーでった。

その初代役員の面々は、会長に山本喜誉司、副会長に中尾熊喜、須貝アメリコ、評議委員会会長に宮坂国人という顔振れが揃った。

1958年、文協が主催団体となって三笠宮同妃両殿下をお迎えして挙行したブラジル日本移民50年祭の成果は、戦後の隠微かつ執拗なカチ・マケ抗争に区切りをつけたばかりでなく、日本との文化交流を促進する役割をも果した。
この50年祭とそれに続く文化センター建設は山本理念の具現化であり、その為の資金調達活動など常に先頭に立って全体を率いていたが、1963年7月31日、日本文化センター(現文協ビル)第1期工事の完了を目前に肺がんのため逝去。

◎1958年 連邦政府より日系民間人として初の「南十字星勲章」授与

◎1958年 日本政府より「勲四等旭日章」授与

◎1964年 日本政府より故人の功績に対する「勲三等旭日章」追叙 

Diretoria

Presidente: Kiyoshi Yamamoto (1955-6/1963)
1º Vice: Kumaki Nakao (1955-6/1963)
2º Vice: Américo Sugai (1955-1958); Guenitiro Nacazawa (1959- 6/1963)
3º Vice: Gervásio Tadashi Inoue (1959-1962)

Secretário Geral: Susumu Hirata (1959-1960); Tadashi Takenaka (1961-6/1963)
1º Secretário: Gervásio Tadashi Inoue (1955-1958); Tadashi Takenaka (1959-1960); Susumu Hirata (1961-1962); Sangoro Nobumitsu (1/1963-6/1963)
2º Secretário: Susumu Hirata (1955-1958 e 1/1963-6/1963); Américo Sugai (1959-1962)
3º Secretário: Tadashi Takenaka (1955-1958); Ioshifumi Utiyama (1959-1960); Hiroshi Saito (1961-6/1963)

1º Tesoureiro: Moriji Anze (1955-1958); Saburo Tsuji (1959-1960); Tokiya Washizuka (1961- 6/1963)
2º Tesoureiro: Sakuro Hase (1955-1958); Shozaburo Yamaguchi (1959-1960); Sangoro Nobumitsu (1961-1962); Shuichiro Wada (1/1963-6/1963)
3º Tesoureiro: Tokiya Washizuka (1959-1960); Shuichiro Wada (1961-1962); Takeshi Yoshio (1/1963-6/1963)

Diretores: Katsuzo Yamamoto (1955-1960); Cho Kihara (1955-6/1963); Guenitiro Nacazawa (1955-1958); Teiiti Suzuki (1955-6/1963); Rokuro Hama (1955-1958); Américo Sugai (1/1963-6/1963); Masutaro Nakakubo (1955-1958); Kakuji Hirai (1955-1960); Takeshi Suzuki (1955-6/1963); Tokiya Washizuka (1955-1958); Masaru Takahashi (1955-1956); Jorge Suguita (1955-1958); Seian Hanashiro (1959-1960); Yoshikazu Tanaka (1961-6/1963); Hanashiro Shokai (1961-1962); Senichi Hachiya (1961-6/1963); Tatsuo Okochi (1961-1962); Yamamoto Shokai (1961-1962); Ioshifumi Utiyama (1/1963-6/1963); Seigui Fujihira (1955-1960); Toshio Tsukumo (1/1963-6/1963); Takeshi Yoshio (1959-1962); Tsunezo Sato (1959-1960 e 1/1963-6/1963); Saburo Tsuji (1957-1958)

Conselho Deliberativo

Presidente: Kunito Miyasaka (1955-6/1963)
Vice: Takeshi Hasegawa (1955-1958)
1º Vice: Shuichiro Wada (1959-1960); Takeo Goto (1961-6/1963)
2º Vice: Shizuo Hosoe (1959-1960 e 1/1963-6/1963); Ioshifumi Utiyama (1961-1962)

1º Secretário: Tsunezo Sato (1955-1958); Kenro Shimomoto (1959-1960); Toshio Tsukumo (1961-1962); Hideto Futatsugi (1/1963-6/1963)
2º Secretário: Seian Hanashiro (1955-1958); Keijiro Jojima (1959-1960); Hideto Futatsugi (1961-1962); Michie Akama (1961-1962); Kunihiro Miyamoto (1/1963-6/1963)
3º Secretário: Kikuo Furuno (1959-1960); Fujio Tachibana (1/1963-6/1963)

Secretário Geral Administrativo: Takuji Fujii