家族や友人たちや社会の人々と共に祝われるに値すると真に認められた人々。それこそが1月28日の夜、文協貴賓室において行なわれたブラジル日系社会32団体によって執り行われた式典の空気でした。
150人近くが詰め掛けたイベントは、在サンパウロ日本国総領館佐野浩明首席領事、安部順二ブラジル連邦議員、飯星ヴァルテルブラジル連邦議員、西本エリオサンパウロ州議員、そして野村アウレーリオサンパウロ市議員たちの威厳に満ちた存在によって、出席者の期待をはるかに上まわるものとなりました。
池田昭博氏は勲三等旭日中綬章を、志村豊弘氏は勲五等双光旭日章を、マウリシオ・デ・ソウザ氏は勲四章旭日小綬章を受賞されました。
日本政府を代表して佐野首席領事が挨拶の言葉を述べました。受章者3名を“先生”と呼び、彼らに対する親愛の気持ちと彼らの業績に対する深い敬意の念を表現した佐野首席領事。「ブラジル日系社会経済活動の先生である池田氏、ブラジル日本文化の先生であるマウリシオ・デ・ソウザ氏、そして日伯地域交流の先生である志村氏に心からの賛辞を呈したいと思います。」会場にいたすべての出席者はこの言葉に心から賛同し、拍手によって祝福の思いを表しました。
池田昭博氏はその挨拶の中で、1958年にアルバレス・マシャド地方から意を決してサンパウロに出てきた時のことをふり返り、「いつの日か自分が日本政府からこのような非常に名誉な章をいただくことになるとは想像すらしなかった」と語り、感無量の思いを表現されました。
池田氏によると、「旅の終わり」におけるこの受賞は「良い学校で勉学に励んできたことと良い仕事仲間に恵まれてきたことの結果、ブラジルと日本の関係における歴史的な瞬間に居合わせることを許してくれた状況の結果」だそうです。サンパウロに移住し、異なる環境の中で人生を成功させるのは決して容易なことではなく、池田氏は相当の苦労と努力をされてきたに違いありません。それでも、今まで自分を取り囲んできた人々や状況や時代への感謝の気持ちを決して忘れない池田氏。感謝の念を持たない利己的な人々が多い今の時代において、本当に“先生”と呼ばれるにふさわしい、広い視野を持った謙虚な方ではないでしょうか。
マウリシオ・デ・ソウザ氏は受賞の感謝を述べた後、幼少期のブラジル日系社会との密接な共存が自分の人生観を形作るうえで非常にプラスになったことを強調されました。「日系社会のシステムや習慣、日本人の誠実さ、高潔さ、美しく多彩な言葉遣いにいつも感心していました。だから日系人であるアリセと結婚しました!」とのマウリシオ氏の言葉は、会場内の日本人としての誇りを持つ人たちすべての心をばっちりつかみました。
ブラジル日本移民100周年記念マスコット“チカラ”と“ケイカ”を創作する機会を与れたことの喜びを強調したマウリシオ氏は、「日本とブラジルという二つの国とそれぞれの文化がさらに交流を深めていくことに今後も貢献したい」という心強い言葉を述べてくださいました。
志村豊弘氏はそのスピーチの中で、「福祉の分野に献身できたのは、18歳のときに父親から『社会のために尽くしなさい』と言われたことから。父親に負けないようにと思いながら50年やってきた」と述べて、自身の忘れられない思い出を明かしてくださいました。
現代の若い世代も、日系社会の中で必死に生き抜いてきた自分と同じ精神を抱いて、困難に面してもあきらめず、大きな壁にぶつかっても高い志を失わずにたくましく生きていってほしい。生来の能力ではなく、そういう力強い姿勢こそが社会への貢献につながる・・。そんなメッセージを、志村氏は伝えたかった、感じ取ってほしかったのでしょう。
このように、式典は単なる表彰式ではなく、出席者の心を揺さぶり、未来のために今を一生懸命生きるよう訴えかける、まさに“先生”たちからの有難いお言葉をいただく場となりました。今後もブラジル日系社会から、とりわけ今の若い世代から、将来の“偉大な先生”が現れることを願い、祈りたいと思います。