来る4月14日(月)午前11時より、本田剛広場の落成式が、ジャルジンパウリスタのブラジル大通りドトールダビドカンピスタ通りとマレシャルビッテンコウルト通りの間で行なわれました。
これは野村アウレリオ聖市市議会議員のイニシアチブにより実現した、19年間サンスイ・プラスチック工業の社長を務めた本田剛先生への記念表彰です。
本田剛氏は1938年にサンパウロ州バストスで生まれ、本田マサさんとコノムさんの11人の子供たちの5番目の息子です。子供の頃から、家族が営んでいた蚕(カイコ)養殖業と学業との間で自分の時間を分けることを学びました。
1953年に、家族のサポートのおかげで、医者になることを夢見てサンパウロ州立学校の科学の課程(現在の高校)を受けるためにサンパウロにやって来ました。競争の激しいパウリスタ医科大学に入ることができましたが、経済的に厳しくて中退し、サンパウロ総合大学(USP)で化学の課程を選びました。
1970年には、AOTS(海外技術者研修協会)による日本の奨学金のおかげで、アジア太平洋ポリ塩化ビニル(PVC)産業や実験研究所との連絡を維持しながら、ポリマーの研究に打ち込みました。
1971年にブラジルに戻ると、最高経営責任者(CEO)所助信により、サンスイと契約しました。最初から、化学者として働き、数年後には企業内の重要な立場を占めるようになり、1988年に社長職に就きました。
バイア州カマサリ市の工業団地や海外でのブランド拡大のように、本田氏は社長としても多くのことを成し遂げ、サンスイ工業のさらなる進歩と発展に大きく貢献しました。また、彼はプラスチック産業に関連する企業での職務も歴任しました。
日系団体との関わりも深く、ブラジル日本文化福祉協会評議員会で第二副会長をつとめたほか、県連のフェスティバル・ド・ジャポン(日本祭)など日系団体のイベントでもスポンサーや屋外テントの設置等に幅広く協力してこられました。2007年4月23日、本田剛氏は、知恵、寛大さ、勇気、何よりも人々からの信頼という遺産を残して他界しました。享年68歳でした。