「いまどきの若者は何の関心も示さない」
彼はニッケイパレスホテルのレストランの横のテーブルに腰掛け、苦い口調でこう言いました。
このセリフは、このホテルのオーナーである池崎博文さん(94歳)から発せられたものでした。
これは、サンパウロ市のカーニバルに出演するためのサンバグループ「Brinco da Marquesa Samba School –VilaBrasilina-」からの参加呼びかけに対する、日系人らの反応の薄さを嘆いたものでした。
サンパウロ市アニャンビーのサンボードロモの会場で、4月16日に開催されるカーニバルにおいて、このサンバチームが2022年のテーマに選んだのは「リベルダーデ日本駅 アフロから東洋へ」とした、リベルダーデ区の東洋人に敬意を払ったテーマだったのです。
パレードの前夜、池崎氏はリベルダージを代表する人物の一人として山車に同乗する招待を受けていたため大変興奮していましたが、それでも日系人の参加者の少なさに対する嘆きは隠すことができませんでした。
それでも当日は、このサンバチームの創設者であるアウレリオ・ノムラ市議会議員と、チームのジェネラルコーディネーター、宮原ディオゴ氏と共に、このチームを盛り上げました。
何とか135人を集めたディアゴ氏は「大変でしたが、とても賑やかになってよかった!」と話しました。
ちなみにディアゴ氏は、サンバ・エンレドの作曲家の一人であり、日系人でサンバ・エンレドを初めて通訳した人物です。
実は、当日の準備段階で、パレード中に雨が降り出す可能性があったこと、そして何より高齢の池崎氏が山車で座る椅子がかなり高い位置にあることを心配し、山車に乗ることをあきらめた方がいいのではないか、という意見が多く挙がりました。
しかし池崎氏は、2つの理由を挙げ、その意見に屈することはしませんでした。
「このサンバチームのテーマは、私の人生そのもので私の心の故郷ともいえるリダリベルダーデ地区に敬意を表したものである」。
そして、2番目の理由として池崎氏が口にした理由には、もう誰も何も言うことはしませんでした。
「そしてこれは私の人生最後のパレードになるかもしれません」。
そして、池崎氏が山車に乗ったパレードは予定通り行われました。
山車の頂上で、着物を着た女の子たちと一緒に、そして135人のサンバチームのメンバーと一緒に、彼は歌い、聴衆と楽しく交流しました。
移民が到着しました
そしてたくさん貢献しました
永遠にありがとう
侍の戦い、オリシャダンス
太鼓の音で、揺れてくる
これは、レイバーデーに去った戦士への特別な別れのうたです。
「この曲は、リベルダーデ地区に到着し、この地区を開拓して今日の姿へと導いた先駆的な移民の一人として、池崎氏の人生を描くのに最適でした」とディオゴ氏は述べています。
パレードを無事終え、家に帰った池崎氏は、夜明けに転倒し翌日入院しました。
ペースメーカーを植え込むための手術を受け、その手術は成功したものの、5月1日の早い時間に汎発性肺炎感染症により帰らぬ人となりました。
リベルダーデ地区 日本文化の象徴的な場所
熊本県天草生まれの池崎博文氏は、1934年当時5歳の時に家族と共にブラジルのバストス(SP)に入植。
その後、当時で言えば「御用聞き」や清掃員、配達員、タクシー運転手、クリーニング店等で働きました。
彼の長い人生の中で常に彼を支えた言葉は、彼の祖母がよく口にしていた「躓く石も縁の端(つまずくいしもえんのはし):自分にかかわるすべてのものが、なんらかの因縁で結ばれているということ。ふとつまずいた石も、多くの石の中でなんらかの縁があってつまずいたという意。」だと話しています。
その言葉通りすべての経験を糧にして、64年にサンパウロ市のリベルダーデ区に兄弟と池崎商会を設立し化粧品関連事業を展開、南米最大規模の美容品市を開催するまでに成長させました。
誰もが池崎氏を「疲れ知らずの戦士」として認めていました。
彼は常に新しいプロジェクトに取り組み、そのほとんどがリベルダーデ地区に焦点を当てたものでした。
「日本人街」と呼ばれていたこの地区は1960年代以降、減り始めた日本人の店主により地区の様子が変わり始めました。
それを危惧し1965年にはリベルダーデ商店街振興組合を結成、後にリベルダーデ文化福祉協会(ACAL)となり、1997年からずっと同協会の会長として、リベルダージをかつてのように「日本人街」とするべく奮闘しました。
同会が1969年に日本の文化を体験できる「第1回東洋祭り」を開催して以来、リベルダーデ地区のメイン通りとなるガルボン・ブエノ通りとリダリベルダーデ広場において多くの変化がありました。
2018年、池崎氏はこの地域の日本人とのアイデンティティを強化するために奮闘、1974年に発足した地下鉄駅の名前を「リベルダーデ駅」から「日本リベルダーデ駅」に変更することに成功しました。
2011年には、こういった努力が認められ、渡部和夫氏とともに「平成23年春の叙勲」旭日単光章を受章。
当時の在聖総領事館の大部一秋総領事は「お二人の努力する誠実な姿が、日伯関係の向上に大きく貢献した」と祝辞を贈りました。
また、当ブラジル文化福祉協会においても長い間評議員副会長として尽力されました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
池崎博文氏 初七日ミサ
日時: 07/05/22( sábado)
時間: 13h
場所: Paróquia São Francisco de Assis
Rua Borges Lagoa, 1209 – Vila Clementino
Fotos do Carnaval: Itiban News e TV Uchiná