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追悼:秀島 マルセロ 氏

文協の第二副会長の秀島マルセロ氏が、2023年2月1日の夜、共同経営するAlfa Alimentosの仕事から帰宅後、心臓発作により、自宅でお亡くなりになられました。53歳でした。妻と娘さんとの3人家族でした。 通夜は2月2日の14時~22時と3日の午前6時~午前8時、文協文化ホールにて行われました。(R. São Joaquim, 381 – Liberdade – São Paulo 文協ビル地下1階) 葬儀は2月3日午前11時より、Jardim Horto Florestal墓地にて行われました。(Rua Luiz Nunes, 111 – Parque Ramos Freitas – SP) 秀島マルセロ氏 移民一世とは違い、日系社会に対して関心が薄くなりがちなブラジル生まれの日系人青年らを、上手くまとめていたのが青年時代の秀島氏でした。その人望と手腕を必要とした文協は秀島氏を招き入れ、早速秀島氏は、1997年の文協青年部の発足に際して、主導的役割を果たしました。その活動を軌道に乗せた後の2005年、今度は35歳という若さで文協の副会長に抜擢され、活動の幅を広げました。 以下、2006年11月25日に、文協貴賓室で行われた「文協創立50周年記念座談会」の冒頭に行われた参加者の自己紹介から抜粋します。 秀島マルセロ、36歳で既婚です。私の文化団体での活動は、 ツクルヴィ協会の日本語学校へ入った9歳の時から始まります。16歳でこの協会の青年会長になり、 イベントや各種競技の組織づくりを活発に行ない、 同協会の会長になりました。そして当時15団体を擁していたサンパウロ北部連盟に参加しました。統合こそ日系人の交流を促進し、 強化する手段だと考えるので、これは極めて重要な経験でした。ただ北部地区だけだったため他地区の団体は知りませんでした。そこで友人のグループとサンパウロ慈善インテルカイカンを設立しました。1994年にはサンパウロ各地にある11団体を集め、それが大きな交流の方法であると考え、1995年には16団体、スポーツ、文化、慈善など様々な部門の青年 1,200名をまとめました。1996年のイベント開催において、寄付のための食料品を19トン集めたときは最高の喜びでした。その後、林アンドレさんがいた文協の日系団体再活性化委員会に呼ばれ、議論したときに、将来の再活性化について、この委員会が所属している文協自体に青年がいないことを大いに話し合いました。そのため当時の山内会長は青年文協、現在の文協青年委員会を創立するため、 あらゆる支援をして下さいました。1997年のことで、当時の青年文協は青年団体リーダーたちの集りで、アイデアを交換する場でもありました。この交流は極めて健全であると考えたので1999年に役員になったとき、 ABEUNI、ASEBEX、 青年会議所、 文協青年委員会と慈善インテルカイカンの5団体の会長で、これらの団体を統一し、 それぞれのメンバーの育成を一層強化し、 共同活動を通じて日系社会および社会一般のために何かを促進するグループを結成するアイデアが生まれました。このアイデアの推進者であった林アンドレさんは、文協の政策を議論するため、 ABEUNI、 ASEBEX、青年会議所と青年文協を召集し、 私も再活性化委員会のメンバーとして参加しました。こうして結成したG5の統合は極めて重要であったと思います。2000年には5団体の会長が集って連合会を作り、 現在まで続いています。この間、 私は希望の家※に呼ばれ、 その第1副会長ををしており、 文協、 交流協会にも参加しております。 ※重度知的障害者が入居する福祉施設「希望の家福祉協会」         (2007年4月発行 ブラジル日本文化福祉協会創立50周年記念「文協50年史」より抜粋) このような秀島氏を、誰もが、近い将来、ブラジル日系社会全体を牽引する指導者になるだろうと信じて疑いませんでした。 その秀島氏の、突然で、そして早すぎる逝去の報は、日系社会全体にどれ程の衝撃と悲しみを与えたかは、言うまでもありません。 急遽開催した文協文化ホールでの通夜には、次から次へと届けられた77基の花輪で会場が埋め尽くされました。そして弔問客も途絶えることがなく、約1000人※が来館し、秀島氏との最後の別れのひと時を持ちました。※受付で記帳した方々は約600名ですが、記帳のために大勢の人々が並んでいたため、記帳をせずに帰られた方も沢山いらっしゃいました。また家族で来られた方は殆どが代表者1名のみの記帳でしたので、弔問客はゆうに1000人は超えていると推測します。

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ブラジル日本青年会議所 新会頭に照屋ウーゴ氏

写真:左から照屋ウーゴ新会頭 , 関口ひとみ文協顧問 , 岩本レアンドロ前会頭 ブラジル日本青年会議所(JCI Brasil-Japão、JCIBJ)は、2月13日に「2023年役員就任式」を文協貴賓室で開催、照屋ウーゴ新会頭(三世/34歳/弁護士)の就任を、集まった150人が祝しました。 照屋ウーゴ氏は、2010年に沖縄県人会ビラカロン支部の青年部のリーダーを務めて以来、日系社会とのつながりを維持しています。もともとサンパウロ大学生援護連盟(ABEUNI-Aliança Beneficente Universitária de São Paulo)※で活動しており、ブラジル日本青年会議所には2014年から所属。文協には、2019年から文協青年委員会の活動に加わるようになり、現在は文協理事会の専任理事を務めています。 ※ABEUNIは、50年代から活動していた日系医学生を中心とした「ABENIBRA」(日伯援護協会の大学生支部)が前身となる団体で、サンパウロ州の貧困地域、孤児院などで医療や教育のボランティア活動を行っている。前身のABENIBRAでは、日系人に対して無料健康相談を行っていたが、その枠を取り払いサンパウロ州全土の住民へとその対象範囲を拡大した。また、日系の医学生が中心だった活動メンバーの枠も広げ、学生もしくは学位取得者であればどの分野の専攻でも参加できるようになった。 照屋ウーゴ 新会頭 所信表明 新任の挨拶にたった照屋新会頭は、まず、前年度の岩本レアンドロ会頭とその執行役員らの労をねぎらい感謝の言葉を述べました。 そして、前執行役員が開始したプロジェクトを今後責任を持って展開していくと話しました。 また、日系団体およびスポンサーとの関係強化を図り、その上で、ブラジル日系団体とつながりのある学校との共同行動を模索し、次世代を率いる青年層のリーダーシップ資質向上のために、弁論練習の重要性を学校関係者に認識させる活動をしていきたい、と述べました。 また、会場に駆け付けた両親に対しては、夢を実現し続けられるよう常に最高の環境を提供するために努力してくれたことに、また、婚約者であるタミレスさんに対しては、いつもそばで励ましてくれることに対し、心からの感謝の意を表しました。 写真:左から婚約者のタミレスさん , 父親のイサオさん , 母親のマサコさんとウーゴ新会頭 そして最後に、照屋新会頭が兄のように慕っていた、2月1日に急逝した秀島マルセロ氏が、生前、常に語っていた言葉を引用し、所信表明を締めくくりました。 ベストを尽くそう! どんなことでも、簡単なことでも、常にベストを尽くそう。 どんな簡単な仕事でも、どんなことでも、常にベストを尽くそう!

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毎月第1水曜日は「文協シネマ&フリマ」の日☆4月は5日(水)です!

毎月第1水曜日に開催する「文協シネマ」(共催:国際交流基金サンパウロ事務所)と「水曜フリマ」、2023年4月は5日(水)です!多くの方のご来場をお待ちしております。 【文協シネマ】 「日日是好日」(にちにちこれこうじつ)日 時:2023年4月5日(水)13時~場 所:文協ビル大講堂料 金:無料※ポルトガル語字幕付き  映画の詳細はコチラ≫≫≫日日是好日公式サイト  【水曜フリーマーケット】 日 時:2023年4月5日(水)10時~15時場 所:文協ビル大講堂前ロビー フリーマーケットには、古着(新品あり)、雑貨、古本、アクセサリー、ハンドメイド作品、和菓子、弁当、野菜などが出品されます。掘り出し物が見つかるかもしれません!どうぞ、お気軽にお越しください。 ※この水曜フリマは文協図書館が主催しています。出展希望の場合は文協図書館(ワッツザップ:(11)975226-6101)までお問い合わせください。

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回顧展:ジャパンハウス・サンパウロの6年 @ 日本館 4月23日まで

ジャパンハウス・サンパウロ( 以下JHSP)は、3月2日から4月23日まで、イビラプエラ公園内にある日本館にて「回顧展:ジャパンハウス・サンパウロの6年」を開催します。 これは、日本館を管理するブラジル日本文化福祉協会とJHSPとのパートナーシップにより実現しました。 この回顧展では、2017年のオープンから現在までの6年という間に、JHSPで開催された39の展示会をはじめとする、芸術、技術、教育、美食など様々な視点から日本文化を表現した活動を、写真と文章で振り返ります。 「回顧展:ジャパンハウス・サンパウロの6年」@日本館 「回顧展:ジャパンハウス・サンパウロの6年」 期 間:2023年3月2日(木)~4月23日(日)     ※注:日本館休館日の月,火,水を除く 日本館運営日時:木,金,土,日.祝日 10時から17時まで 場 所:イビラプエラ公園内日本館     Av. Pedro Álvares Cabral, s/nº – São Paulo – SP     日本館最寄りゲート:ゲート10(徒歩の場合) / ゲート  3(車の場合) 入館料:大人:15レアル     学生(要学生証),高齢者(60歳以上),子供(5~12歳): 7レアル      幼児(4歳まで):無料        ※木曜日は無料 回顧展 ・建築家・隈研吾氏による『隈研吾-エターナル・エフェメラル』展・ドレスデザイナー・小泉智貴氏による『トモ ・コイズミの幻想的な宇宙』展・日本人アーティスト毛利悠子氏の『Parade (a Drip, a Drop, the End of the Tale)』展・日本のアーティストユニット「DAISY BALLOON(デイジーバルーン)」による『バランス』展・5人の日本人女性ジュエリーデザイナーによる『[ÍM]PARES(インパレス)』展 また、それ以外にも今までの特徴的な活動である読書会、まんがサークル、JHSPポッドキャスト、日伯修好ウォークなどのパノラマも展示されます。 ジャパンハウス・サンパウロと日本館の強固なパートナーシップ JHSPのエリック・クラッグ館長は、「私たちは、文協との強固なパートナーシップにより、日本館という美しく特別な場所で、JHSPにとって重要なイベントである回顧展を開催できることを、大変うれしく思っています。ここでは、東洋人街リベルダーデやパウリスタ大通りにあるJHSPで感じる日本文化とはまた違った観点で日本文化を伝えることが可能です。2017年にオープンしたJHSPの来館者数 は、2023年1月現在、既に270万人を数えていますが、日本館にて回顧展を開催することで、さらに多くの人々に日本文化に触れる新たな機会を提供できると期待しています。」と述べています。 JHSPのデザイン画:JHSPサイトより それに対し、文協の石川レナト会長は「資材の全てを日本から取り寄せ、日本の匠により伝統的な建築様式を踏襲して建てらた日本館に隣接して建つ展示室の一画に、昨年、カフェテリアと小さなショップをオープン、バリアフリー化も施しました。更なるステージアップを目指す日本館にとって、JHSPの回顧展開催はそれに花を添えてくれるものであり、大変光栄です。」と話しました。そして「来館者は、イビラプエラ公園に建つ独特な雰囲気を持つ日本館とJHSP回顧展を通して、日本文化の多様性と豊かさを垣間見ることができると確信します。」と付け加えました。 なお、JHSPは2021年以降、パラナ州、リオグランデドスル州、パラ州、ペルナンブコ州などの他州や、アルゼンチン、メキシコなどの国々でデジタルおよび対面での活動を行い、毎月直接5万人に、デジタルにおいては200万人にでアプローチ、地理的範囲を広げています。 ぜひ、お越しください! サイト:ジャパンハウス・サンパウロ    日本館 お問い合わせ:(11) 99538-1927 / (11) 96390-2404または pavilhao@bunkyo.org.br

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毎月第1水曜日は「文協シネマ&フリマ」の日🎥5月は3日(水)!

毎月第1水曜日に開催する「文協シネマ」(共催:国際交流基金サンパウロ事務所)と「水曜フリマ」、2023年5月は3日(水)です!多くの方のご来場をお待ちしております。 【文協シネマ】 「たそがれ清兵衛」日 時:2023年5月3日(水)13時~場 所:文協ビル大講堂料 金:無料※ポルトガル語字幕付き  映画の詳細はコチラ≫≫≫たそがれ清兵衛 【水曜フリーマーケット】 日 時:2023年5月3日(水)10時~15時場 所:文協ビル大講堂前ロビー フリーマーケットには、古着(新品あり)、雑貨、古本、アクセサリー、ハンドメイド作品、和菓子、弁当、野菜などが出品されます。掘り出し物が見つかるかもしれません!どうぞ、お気軽にお越しください。 ※この水曜フリマは文協図書館が主催しています。出展希望の場合は文協図書館(ワッツザップ:(11)975226-6101)までお問い合わせください。

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文協評議員選挙立候補者78名が出揃う📃投票用紙受付は3月24日(金)まで!

文協の選挙管理委員会・木多喜八郎委員長およびメンバーは、2月17日に立候補受付を締め切った立候補者に対し、立候補条件を満たしているかどうかの審査を行い、結果、78名を立候補者として承認しました。 続いて、⽴候補者78名の名前を記載した単⼀投票⽤紙を作成、木多委員長を中心に、付番の上一枚一枚に直筆サインした投票用紙を、投票に際する注意事項書および返信用封筒を同封し、文協の全会員へ郵送しました。 この選挙によって、就任期間を2023年から2027年の4年間とする50名の正評議員及び25名の補充評議員が決定します。(文協定款第17条によりその半数は2年毎に改選) 投票に際する注意事項 投票について 選挙管理委員会は、せっかくの投票が無効とならないように、特に下記2点に対し注意を呼びかけています。 ・投票は50名まで。51名以上に投票した場合は無効となります。 ・エンピツによるマークまたは訂正されたマークは認めません。 マークをする前に候補者リストをよく読んで、ボールペンなどで確実にマークしてください。 投票権について 投票権を持つ会員は、2022年度までの会費を全納した会員に限られます。2022年までの会費納入期限:2023年3月10日(金) 2022年度までの会費を3月25日の定期総会より15日前まで、すなわち来る3月10日までに完納していなければ行使できないことにご留意ください。 投票〆切日について 投票用紙の提出〆切は 2021年3月25日(土)第59 回定期総会当日の10時までとなっておりますが、当日の混乱を避けるため、なるべく前日の3月24日(金)までに郵送もしくは直接事務局までお持ち下さいますよう、お願いします。 開票について 開票並びに結果発表は、3月25日(土)第59回定期総会定期総会において行います。 2023年 文協評議員選挙 立候補者78名リスト この選挙結果を受け最終決定された評議員100名の中から、評議員会長、副会長、幹事の選出は4月29日の第162回評議員会定例会にで行われます。 お問合せ:文協事務局 (11) 3208-1755 (レジナもしくはマサミ)

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2023 文協評議員選挙 立候補受付〆切は2月17日

2023年 文協評議員選挙 文協定款第17、18 及び19 条の規定に従い2023年3月25日(土)の第59 回定期総会にて評議員選挙を行います。この選挙で50名の正評議員及び25名の補充評議員が決定します。就任期間は2023年から2027年の4年間です。(文協定款第17条によりその半数は2年毎に改選) それに先立ち、山下譲二評議委員長は規定に従い2023年の選挙管理委員会を設置し、以下の7名を委員に任命しました。木多喜八郎(委員長)、イノマタ・レオナルド・ヒデキ、宮原ネルソン、ヤマサキ・リカルド・アウグスト、ササキ・リカルド・キヨシ、オシモト・オダ・セルジオ、大原毅(敬称略) 立候補の条件 a) 文協に会員としての籍を少なくとも3年有し、5名以上の会員の推薦がある者、又は、b) 理事として2年以上務めた者、又はc) 監査役として2年以上務めた者、又はd) 既に評議員であるかもしくは評議員を務めたことがある者、又は、e) 文協に会員としての籍を少なくとも3年有し、日系社会に多大な貢献をした社会的名声の高い団体の推薦がある者 立候補に対する手続き 全ての会員に郵送された※「第59回定期総会開催のお知らせ」の案内状に、上記「立候補の条件」を満たす会員には、「立候補申請手順要項」および「申請書」が同封されています。 ※案内状は、2023年1月13日に郵送しています。まだ受け取っていない会員は、文協事務局までご連絡下さい。  電 話:(11)3208-1755  月~金 9h30~17h30  メール:secretaria@bunkyo.org.br (担当:マサミ もしくは レジナ) 立候補を希望する場合、 申請書に必要事項を記載の上、郵送もしくは直接事務局までお持ち下さい。立候補申請書の〆切は、2023年2月17日(金)です。

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BUNKYO NEWS コロニア No145

お待たせいたしました!2021年度の文協の活動報告を記載した「文協年鑑誌第145号(2022年版)」が完成致しました。 サブタイトル「待望の再開 」 BUNKYO NEWS コロニア第145号の表紙を飾る折鶴は、第14回文協総合美術展(2022年2月)の会場入り口に、文協美術工芸員会が作成して飾ったものです。 その折鶴に添えられていた言葉は、まさしく2021年度の文協全体を表現した言葉でした。 ~それぞれが最も貴重な自分の時間を捧げました。仲間たちとの再出発のために~ このように、2021年は、新型コロナウイスパンデミックによる外出自粛令も徐々に緩和され始めたことを受け、文協の活動も、着々と活気を取り戻す様子が報告されています。 そんな各委員会より寄せられた、2021年度の活動報告書に共通していた内容が、「待ちに待った仲間たちとの、対面での活動の再開」でありました。 BUNKYO NEWS コロニア第145号を是非、ご一読ください!

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訃報 本山省三氏 

サンパウロ州立総合大学(USP)教授で、科学史センター理事、ブラジル日本移民史料館館長、サンパウロ人文科学研究所理事長を務めた本山省三氏(二世)が、1月26日(火)午後8時50分頃、自宅でお亡くなりになられました。81歳でした。1月5日に81歳の誕生日を迎えたばかりでした。 夕方になっても、昼寝から起きてこないのを心配し、家族が部屋に様子を見に行ったところ、意識の無い状態で発見されました。救急車で緊急搬送されましたが病院で死亡が確認されました。死因は不明です。 葬儀は翌日27日に執り行われ、ゲッセマニ・アニャングエラ墓地に埋葬されました。 本山・ミズノ・ジュリア夫人との間に2人のご子息(ショウイチさん、シンジさん)そして、3人のお孫さんに恵まれました。 飽くなき探究心 本山氏はサンパウロ大学(USP)にて物理学を専攻(1967年卒業)、1971年には同大学の科学博士号を取得しています。日本の早稲田大学理工学研究室博士研究員(招待研究員)でもありました。1975年には東京大学の宇宙線研究室に在籍しています。1976年にはサンパウロに戻りUSPで無料指導を行っていました。また本山氏は、USPの哲学・文学・人間科学部の歴史学部の教授(1999/2009)として教鞭をとり、ユニット間科学史センターの所長も努めました。 1966年からサンパウロ人文科学研究所(人文研)の理事を務め、2004年から2019年まで会長の職を担いました。それ以外にも ブラジルの日本移民史料館の館長(1991/1997および2008/2009)およびアカデミアパウリスタデヒストリアの議長15番のメンバーでもありました。 執筆活動 今までに、科学技術史をテーマにした32冊以上の本を執筆し、2011年は、第二次世界大戦の到来までの日本の移民の歴史について執筆した「日の出の象徴の下で(Sob o Signo do Sol Levante)」を出版しました。 その後、2016年にジャーナリストのホルヘ・オクバロとともに、1941年から2008年までの日本の移民の歴史を取り上げた「戦中戦後編『対立から統合へ』(Do Conflito à Integração – Uma História da Imigração Japonesa no Brasil)」も出版しています。これらは、ポルトガル語版のブラジル日本移民『百年史』全5巻中3巻目です。 現在は、USPおよびブラジル日本移民史料館で主任研究員を務め、日本移民文化研究センターに参加し、史料館の9階に設置される展示会のキュレーターコーディネーターを務めていました。 本山省三氏のブラジル日系社会に対する数々の貢献に感謝申し上げ、心からご冥福をお祈り致します。

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追悼 石井賢治氏

去る1月17日、澄んだ青空が広がった日曜日の朝8時58分、石井賢治氏は2か月間の癌との闘いに終止符を打ち、イスラエリタ・アウベルト・アインシュタイン病院(SP)にて息を引き取られました。88歳でした。翌日、家族葬によってゲツマニ墓地(SP)に埋葬されました。 奥様のミネコさんとの間に、息子のロベルトさん、フェルナンドさん、娘のイザベルさんを授かり、7人の孫にも恵まれました。 石井賢治氏とブラジルをつないだ「陸上」 日本の長野県に農家の末息子として生を受けた石井賢治氏は、慶應義塾大学時代、エリート陸上競技チーム(5千メートルと1万メートルの選手)に所属し、日本の全国陸上競技大会で2度も優勝するなど、将来を期待された選手でした。 アスリート達がフィンランドのヘルシンキで開催される1952年のオリンピックに向けての準備に専念するなか、陸上では、様々な国から名だたる選手が参加することで世界的に有名となった「サンシルベストル国際レース」に、1951年の大晦日、多くの国から選手が送り込まれました。 ブラジルの反対側である日本からは、オリンピック出場候補選手として慶應義塾大学が負担した費用のもと、石井賢治氏と高橋進氏が送り込まれました。 石井氏は既に多くのレースに参加し、ボストンマラソンを含む国際的なレースでのメダルを獲得していましたが、日本人として初参加となったこのレースにて、8位入賞という快挙を成し遂げました。 そしてこのレースに参加するために来伯したことがきっかけとなり、当時日本より豊かで無限の可能性に満ちたブラジルにすっかり魅了され移住を決意、大学を卒業するとすぐ移民船「さんとす丸」に乗りブラジルへと移住しました。 ブラジルでの第2の人生の始まり 石井氏はまず、サンパウロ内部の穀物販売店で働きました。続けてマウアー農業共同組合、リオデジャネイロのヤマガタエンジン建設会社で働く中、南米銀行の創設者でありラテンアメリカにおける日本人移民の中で大きな力を持っていた宮坂国人氏に出会いました。 その宮坂国人氏に勧められ宝石販売業に従事することとなり、1967年に独立し「ジョイアロレーナ石井宝石店」が誕生しました。 ちなみにこの宝石店は、石井氏の3人の子供が後継者になることに興味を示さなかったため、2017年に閉店、50年という歴史に幕を閉じました。 石井氏とブラジル日系社会の関わり 石井氏が文協に入会したのは1959年10月2日のことでした。1987年からは審議委員会の委員を務めるなど、常に協力を惜しみませんでした。それ以外にも、在伯長野県人会およびと慶應義塾大学三田会の会長も務めました。 また「ブラジル法の会」の会員であり、慶應義塾大学ロースクールとの関係に大きく貢献しました。 そして、1960年代半ば以降、ブラジル日系社会において発行される全ての出版物には、「JóiasLorena」のバイリンガル広告が掲載されていたと言っても過言ではありません。そしてこれは石井氏自身の宝石店のマーケティング戦略というよりも、ブラジル日系社会の活動に対する支援が動機となっていることは誰の目から見ても明らかでした。 石井氏と小渕恵三元首相との友情 現在、お二人の友情物語はブラジル日系社会において有名な話ですが、それが公になったのは、1997年のことでした。当時外務大臣だった小渕氏が、東京で開催された石井賢治氏の長男ロベルト氏の結婚式に出席されたのです。ロベルト氏は「父との約束を小渕氏が守ってくださったのです。」と話しました。同じく結婚式に出席していた石井氏の長年の友人であるサンフェルナンドゴルフクラブ創設者であるフリオ・クルス・リマ氏は「二人の間に築かれた友情の物語を交えた祝辞は、そこにいた全員の胸を打った。」と話しました。 そんなお二人の出会いは、1960年代のはじめにさかのぼります。 かばんひとつでぶらりとブラジルへやってきた、当時早稲田大学院生、小渕恵三氏。政治家を志していた若い小渕氏は、世界情勢を実際に肌で感じる必要があると、熱い想いを胸に秘めつつアメリカなど36カ国を訪れ、ブラジルにも足を伸ばしました。ここでは早稲田大学の先輩方に宿を借りながら、約2ヵ月間に亘り日本移住地を見て回りました。そこで思いがけず触れた多くの日本人移民の暖かさに、すっかり心を奪われたとのことです。その「暖かな日本人移民」の一人が石井氏でした。当時、慶應義塾大学の同窓会「三田会」の会長であった石井氏は、日本から来伯するアスリートや若者達の宿や食事などの面倒を快くみることで有名でした。 そんなある日、突然、小渕青年のもとに日本の母親から「内閣総辞職。すぐに帰って、立候補せよ。」という電報が届きました。 帰国前に食事を共にした石井氏に小渕氏は「偉大な政治家になってまたここに必ず訪れる!」と宣言し、ブラジルを後にしたそうです。 帰国後、小渕氏は父親の地盤を引き継ぎ、26歳で衆議院に当選し4年後に議員として来伯。見事に石井氏との約束を果たしました。 またそれだけでなく1998年のブラジル日本移民90年際には、今度は外務大臣として来伯し記念式典に出席されました。 後に、小渕恵三氏の娘である優子議員は当時の様子を「強行なスケジュールで外務省の誰もが反対したんですが、俺がいくと言って出たんです。」と、話しています。 石井氏とスポーツ また息子のロベルト氏は、「父親は常に、バレーボール、ゴルフ、陸上競技など、さまざまな分野のスポーツマンに支援し続けていた。」と述べています。 「父は故松平康隆氏※と同級生で、松平氏を通して日本とブラジルの交流を強化しようと一生懸命でした。『エスコラ・ブラジレイラ』という学校を設立し、その結果わが国でバレーボールのチャンピオンが生まれました。」と付け加えました。 ※松平康隆氏(22/01/1930~31/12/2011)とは、日本のバレーボール全日本選手で、後にバレーボール全日本男子代表監督、日本バレーボール協会名誉顧問、アジアバレーボール連盟終身名誉会長、国際バレーボール連盟名誉副会長、日本オリンピック委員会名誉委員を歴任した人物 シンプルで正しい人 「石井さんは、サンフェルナンドゴルフクラブのメンバーのために常に率先して協力してくださいました」と同クラブ創立者のフリオ・クルス・リマは、いつも意見を交換していた石井氏について、感謝の言葉を述べました。 「何十年もの間、石井氏は青年たちの宿泊、食事の世話はもちろん、良きアドバイザーとして存在していました。 私たちの倶楽部の青年のためのボール、ティー、キャディが不足することは決してありませんでした。そして石井氏は、誰も知らないうちにそれをするのです。」と話しました。 「これは、常に他人を助けることに関心を持っていた、素朴で正しい人である石井さんのありのままの姿です。 彼は植民地で卓越した尊敬と称賛を勝ち取り、その後数十年でここに到着したすべての移民は、自分達が事業を始める前や、または自分達の家族をブラジルに連れてくる時など、人生の一番大事な事柄は、石井さんに相談しに行きました。」と述べました。 このように、石井氏の人生は常に他者を思いやる大変面倒見のよいスポーツマンだったといえます。 日伯交流への多大なる貢献およびブラジル日系人社会に対する深い愛情に心より感謝するとともに、石井賢治氏のご冥福をお祈り致します。

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訃報 岡野修平氏

ブラジル講道館柔道有段者会名誉会長の岡野修平氏が1月16日の午前5時頃、ご自宅で逝去されました。82歳でした。同日、家族と近親者により葬儀が執り行われ、レデントル墓地(SP)に埋葬されました。 岡野氏は昨年末から2週間ほど呼吸器疾患により入院、年明けからは自宅にて療養中でした。 岡野氏と柔道 1938年1月20日、北海道に生を受けた岡野氏は、10歳で柔道を始め、以来柔道一筋の人生だったといえます。 東京の中央大学法学部に在籍中に、同大学柔道部の副主将を務め、卒業後の1964年には世界の強豪が揃った国際親善大会で準優勝を果たしました。 ブラジル柔道への貢献 岡野氏が、サドキン電球工業の創業者で後にニッポン・カントリークラブの初代会長となる山本勝造氏に呼び寄せられブラジルへ来たのは1966年、当時28歳の時でした。 サドキン電球工業で働きながら、翌年にはブラジル柔道の代表チームの監督に任命されました。 72年のミュンヘンオリンピック大会では石井千秋選手の初のメダル(銅)獲得に導くなど、ブラジル柔道史に名監督としての名前を残しました。 柔道を通して日伯交流にも貢献 ブラジル講道館柔道有段者会の役員や会長を歴任するなど指導者として活躍するだけでなく、柔道を通して日伯の交流にも尽力されました。その大きな貢献が日本政府に認められ、令和元年(2019年)春の叙勲において旭日単光章を受勲しました。 なお、2009年には、通常は80歳以上が対象となる国内最高位「柔道9段」に当時72歳で昇段しています。岡野氏がブラジル柔道会に対して成した貢献があまりにも偉大であるというのがその理由です。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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追悼 栗原猛氏

去る1月13日に開催した文協理事会において、昨年12月27日午後7時40分に78歳で逝去された栗原猛氏(東京都出身)を追悼する時間を設けました。 石川島ブラジル造船所(略称イシブラス) の出向社員として 栗原氏は明治大学を1965年に卒業後IHI(石川島播磨重工業)に就職、1985年にはリオ・デ・ジャネイロに現地政府当局とIHIの出資による日本・ブラジル合弁の造船・重工業会社「石川島ブラジル造船所(略称イシブラス)」へ出向、1994年にIHIがブラジルから撤退するまで現地で勤務しました。1998年からは、サンパウロのIHI事務所所長として働き、そこで定年を迎えました。その間、妻のヨウコさんとはサンパウロで結婚式を挙げています。ブラジルと日本の両国を常に往来する人生で、日伯交流にも尽力されました。栗原氏はブラジルに長く暮らしていたにもかかわらず、常に日本の上級幹部職者のような雰囲気を醸し出し続けていました。トレードマークでもある上品な白い頭髪と白いあごひげが、それを強調していたと言えます。また常に控えめな態度であるにもかかわらず、誰からも一目置かれる人物でした。 一人息子であった栗原氏は、100歳の母親の介護にも熱心でしたが、とうとう自分自身の体調を崩され4年ほど前から、熊本県にて治療を受けていました。 文協と栗原氏 理事会では、文協において栗原氏と最も多く行動を共にした中島事務局長より、文協での栗原氏の活動の様子が以下の通り語られました。 「栗原氏が文協の活動に加わったのは2004年のことで、当時のサンパウロ新聞社社長で、強力な文協会員だった水本ヘレナ氏が推薦、そして当時の松尾治副会長からの紹介がきっかけでした。推薦理由としては、栗原氏は文協の多岐におよぶ日本語での事務作業における強力な助っ人となってくれるだろうということでした。実際、日本語での文書作成や日本の関連機関との連絡、そして主に当時の文協会長であった上原幸啓氏の心情を日本語の挨拶文に翻訳する作業に携わり、期待以上の活躍をしてくれました。特に、2004年、日本国の小泉純一郎内閣総理大臣が来伯された際に、大変力になって下さいました。このように、日本からの要人の受け入れ時はもちろん、在伯の大使館や領事館、JICA、国際交流基金などとの連絡窓口としての役割も果たして下さいました。 また、上原会長の第二期目(2005-2006)に、会長より会長顧問に任命されました。 それ以外にも、日本政府による叙勲受章者祝賀式、新年祝賀会、天皇誕生日祝賀式典、ブラジル日本移民開拓先亡者追悼大法要などの式典にも携わりました。2005年の文協創立50周年記念における様々な企画と運営、そして文協図書委員会が主催する古本市をはじめとする、様々な委員会への協力、また本人の趣味もかねて、にっけい文芸委員会や音楽委員会などは特に積極的に協力してくださいました。 上原会長(2007-2008)の第3期目に、会長顧問を務めるだけでなく、ブラジル日本移民史料館運営委員長にも就任しました。2008年に、ブラジル日本移民百周年記念式典にご臨席されるためご来伯された徳仁皇太子殿下(当時)が同館をご視察された際には、館内をご案内するという大役もこなされました。 ブラジル移民百周年を記念するために組織された「ブラジル移民百周年記念協会」の執行委員長に松尾治氏が就任して以来、栗原氏は松尾氏の良きアドバイザーとして存在感を示しました。同時に、5巻におよぶ「ブラジル日本移民百年史」を手がけた移民百年史日本語版編纂刊行委員会にも多大な協力をして下さいました。」と語りました。  百周年時に、栗原氏と共に史料館の運営に携わった現ブラジル日本移民史料館運営委員会の山下リジア委員長は「徳仁皇太子殿下(当時)や小泉純一郎内閣総理大臣などの重要な方々のご案内をはじめ、ブラジルを拠点とする日本企業の幹部との関係を築き、重要な財源を史料館に齎してくださいました。」とその活躍ぶりを強調しました。そして「百周年記念事業の一環として栗原氏と共に立ち上げた『足跡プロジェクト』が大変印象に残っております。12年経った現在もこのプロジェクトは多くの方々に利用されており、同館の重要な活動のうちのひとつです。」と話しました。 合わせて、「このように栗原氏が2004年以来、なぜここまで献身的に文協の活動に携わったのかと言えば『コロニー=ブラジル日系人社会』の一員として初めて歓迎された文協事務局との連携を継続すべきだと確信していたからです」と中島事務局長は付け加えました。 また、栗原猛氏は、2014から2016年まで、サンパウロ人文科学研究所(人文研)の理事も勤めていました。 2013年には、ブラジルのアマゾン、リオデジャネイロ、サンパウロ、およびブラジル以外の国々において、自身が若い頃の回想録を、万葉集から選んだ一言を使用し「あらたしき 日伯断想」という題名の書籍を発行しています。栗原が「自分はブラジルのすべての州を知っている」とよく自慢していたことが、つい昨日のことのように思い出されます。 文協の活動を深く理解し、献身的にご協力下さった栗原氏に心より感謝の意を表し、ご冥福をお祈り致します。

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カーニバル休暇について

文協カレンダー 誠に勝手ながらカーニバル休暇の前日である2月15日(月)は閉館とさせて頂きます。17日(水)は通常通り開館いたします。 ご不便をおかけして申し訳ございませんが宜しくお願いいたします。 お問い合わせ:文協事務局(11)3208-1755

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ご視聴ありがとうございました!一体感、希望に満ちた新年会

司会の中里クラウジア、上原テリオ 江戸時代から始まったとされる新しい年の門出祝う日本の伝統行事「新年会」。 ブラジル日系社会では、去る1月8日、日系主要5団体(文協、援協、県連、商議所、日文連)と在サンパウロ日本国総領事館が共催し、オンラインにて新年会を開催しました。 上段 左から 市川利雄 県連会長 / 吉田エドゥアルド 日文連理事長 / 桑名良輔 在聖総領事下段 左から 村田俊典商議所会頭 / 税田パウロ清七援協会長 / 石川レナト文協会長 運営責任者の山下譲二氏(文協第一副会長)と上原テリオコーディネーターのもと、文協やその他の団体の若い世代が中心となって開催したオンライン新年会は、 希望者 には当日紹介する「おせち料理」の事前注文を受け付け、実物を前にして動画を視聴することができるなどの数々の趣向が凝らされた内容となりました。 レストラン藍染 白石テルマ オーナーシェフ 約2時間の配信の中で、日本の正月文化の基本的な価値観を様々な角度から紹介した動画は大変美しく見るものを魅了しました。 その中でも特に反響が大きかったのは、第一部の最後に配信されたブラジル各地の日系人の子供たちが「一月一日」「ふるさと」を歌って繋いだ場面でした。 配信から5日後の現時点で既に再生回数は1万回に届くまでとなっています。 是非下記よりご視聴ください!

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文協創立65周年オンライン記念式典 2020/12/5

~文協65周年の歩みを支えた創立者、指導者、協力者への敬意を表する式典~文協創立65周年オンライン記念式典 【日 時】2020年12月5日(土)17時~ 【リンク】 youtube.com/bunkyodigital ( 敬称略 ) 【主催者挨拶】ブラジル日本文化福祉協会会長:石川 レナト 【来賓祝辞】在ブラジル日本国特命全権大使:山田 彰        駐日ブラジル大使:エドゥアルド・サボイア       在サンパウロ日本国総領事館総領事:桑名 良輔 【顕彰】文協創立会員:瀬川 正文 / 水野 昌之     前文協会長:山内 淳 / 上原 幸啓 / 木多 喜八郎 / 呉屋 春美     前評議員会会長:大原 毅 / 渡部 和夫 / 杉尾 憲一郎 / 原田 清            スポンサー:宮坂国人財団 【受賞者代表挨拶】文協第11代会長:木多 喜八郎  【文協評議員代表挨拶】評議員会会長:頃末 アンドレ 【司会】ブラジル日本文化福祉協会第7副会長:福原 カルロス ケンジ 【式典総合責任者】ブラジル日本文化福祉協会第1副会長:山下 譲二 ※文協が正式に団体として登記された1955年12月17日を記念し、本年の12月17日には「文協創立65周年記念配信」を予定しています。詳しくはこちらの記事をご覧ください。文協創立記念配信

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