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第二十九回 伊藤園 お~いお茶 新俳句大賞

伊藤園新俳句大賞実行委員会主催「第29回 お〜いお茶新俳句大賞」の作品募集がはじまりました。 毎年同様、文協では応募用紙を配布しています。 募集は、小・中・高校生、一般A(40歳未満)、一般B(40歳以上)および英語俳句の6部門で受け付けています。希望される方は、応募用紙に作品と必要事項を明記の上、郵送してください。なお、締め切りは来年1月26日(必着)です。 また、昨年度の記入用紙に仕様変更があるため、必ず今年度の用紙を使用してください。Eメール、郵送での資料送付も受け付けております。 「新俳句」は、季語がなくても多少字余りであってもかまいません。感じたこと、思ったことを五・七・五のリズムにのせて、のびのび表現してください。皆様の応募をお待ちしています。なお、受賞作品は製品パッケージに掲載されます。 「第29回 お〜いお茶 新俳句大賞」作品募集 応募用紙 日本語俳句 応募用紙 英語俳句 締め切り期日:2018年1月26日(金)必着 Sociedade Brasileira de Cultura Japonesa e de Assistência Social Rua São Joaquim,381 – Liberdade – São Paulo – SP CEP 015008-900 A/C Chika Ebisawa 海老澤 千佳 お問い合わせまで:TEL : (11)3208-1755

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2017春の古本市

10月29日、文協で毎年恒例の「春の古本市」を開催いたします。 同古本市では、マンガ、辞書、子供用の本、小説、雑誌などたくさんの書を取り揃えています。 皆様、お誘い合わせの上、是非お越しください。 貴重な1冊にめぐり合えるかもしれません。 また、図書委員会では古本市の準備、販売のお手伝いをしていただけるボランティアを募集しています。可能な日、時間帯でもかまいません。ぜひ、ご協力ください!! 主催:文協図書委員会 日時:10月29日(日) 9時~15時まで 場所:文協展示室(図書室階下) Rua São Joaquim, 381 – Liberdade – São Paulo – SP (地下鉄サンジョアキン駅近く) ボランティア募集:図書委員会では古本市の準備、販売のお手伝いを募集しています。可能な日、時間帯でもかまいません。 10月28(土) 朝9時集合 書籍整理、会場設営 10月29(日) 朝8時30分集合 図書販売 問い合わせ:(11) 3208-1755まで

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野口泰在サンパウロ日本国総領事館総領事歓迎祝賀会のご案内

この度、在サンパウロ日本国総領事館総領事に野口泰氏が就任されました。 日系社会では野口新総領事の門出を祝うべく以下のとおり歓迎会を開催いたします。 みなさま、お誘い合わせの上ご参加ください。 以下、野口泰総領事のプロフィールです。 野口泰(のぐち やすし) 1966年(昭和41年5月7日生) 山口県出身 平成 2.3 京都大学法学部卒業 2.4 外務省入省 17.8 在ペルー日本国大使館 一等書記官 19.1 在ペルー日本国大使館 参事官 20.8 大臣官房総務課監察査察室長 21.7 総合外交政策局安全保障政策課国際平和協力室長 21. 12 大臣官房 23.3 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震緊急災害対策本部被災者生活 支援特別対策本部事務局参事官 23.8 中南米局中米カリブ課長 25.8 総合外交政策局軍縮不拡散・科学部軍備管理軍縮課長 27.8 警視長 警察庁長官官房付 27.9 宮崎県警察本部長 野口泰在サンパウロ日本国総領事館総領事歓迎祝賀会 日時:2017年10月17日(火)午後7時30分より (開始30分前に受付へお越し下さい) 場所:ブラジル日本文化福祉協会(文協)貴賓室 Rua São Joaquim, 381 – Liberdade – SP (地下鉄サンジョアキン駅より徒歩5分。駐車場あり Rua Galvão Bueno 540) 会費:100レアル 申込締切:出席ご希望の方は10月10日(火)までに文協事務局へご連絡ください。 担当:ミチエ又はサユリまで TEL:(11)3208-1755 E-mail:site@bunkyo.org.br 共催団体:ブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ日伯援護協会、ブラジル日本都道府県人会連合会、ブラジル日本商工会議所、日伯文化連盟、社会福祉法人救済会、希望の家福祉協会、社会福祉法人こどものその、社団法人アルモニア教育文化協会、茶道裏千家ブラジルセンター、ブラジル生け花協会、ニッポン・カントリークラブ、ブラジル日系熟年クラブ連合会、コチア青年連絡協議会、サンタクルス日伯慈善協会、国外就労者情報援護センター、リベルダーデ文化福祉協会、聖北文化体育連合会、ピラチニンガ文化体育協会、外務省研修生OB会、 国際協力機構帰国研修員同窓会、伯日文化社会統合協会、ブラジル日本語センター、ブラジル・ニッポン移住者協会、ブラジル仏教連合会、エスペランサ婦人会、ブラジル日系学術研究者協会、ブラジル農業拓植協同組合中央会、ブラジルふるさと創生協会、ブラジル日系ゴルフ連盟、ブラジル日本青年会議所、日本留学生研修員ブラジルOB会、サント・アンドレ日系連合会、ブラジル桜イッペ連盟。

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ジャパンハウス『隈研吾-エターナル・エフェメラル』展

7月17日、ジャパンハウスサンパウロにて建築家である隈研吾氏の展覧会『隈研吾-エターナル・エフェメラル』の開会式が行われました。 その際、隈氏より呉屋春美文協会長へ文協が管理するイビラプエラ公園内の日本館(1954年堀口捨巳氏建築)に関するエッセイの贈呈がありました。 2015年、隈氏がサンパウロ日本館を訪れた際、同館は1988年より修復工事に携わっている中島工務店による4度目の改修工事中でした。岐阜県中津川市に本社がある中島工務店は、日本のお城、お宮、茶屋などの木材建築はじめ、鉄やコンクリートをも用いて幅広く仕事をこなす工務店です。中島紀于社長と6人の職人たちは修復のために来伯し、使用された木材も日本から取り寄せました。1988年の修復工事から、全4回に及ぶ工事はすべて中島氏のご好意により実現し、修復に使用される材木もすべて提供していただきました。 このサンパウロ日本館への訪問は木造建築を専門とする隈氏にアルミの外観を予定していたジャパンハウスの設計図を考え直させる出来事となりました。また、今年5月6日、パウリスタ大通りに開館した同施設の建設を中島工務店に依頼するきっかけともなりました。 伝統を残しつつ、現代の日本を表現するジャパンハウスの外観は、20世紀を代表するモダニズム・木造建築家である堀口捨巳氏が建築した日本館との特別なつながりによって永遠に記憶にとどめられることとなりました。 呉屋春美文協会長は、エッセイを受け取った際のお礼の挨拶で、「堀口先生と隈先生のみが日本建築家として、ブラジルの大地に作品があり、両方とも木造であることはたいへん喜ばしいことです。隈先生がデザインされたジャパンハウスとの特別なコネクションをきっかけに、日本館に新たな来場者を引き寄せることになりまして、日本の建築意匠が広く知られるようになってきております。 来年の日本移民110周年記念祭典とともに、これから更なる日伯交流の発展につながることを願っています。」と話しました。 プロフィール 隈研吾(くま・けんご) 1954年横浜生まれ。東京大学大学院工学部建築学科修了。コロンビア大学客員研究員を経て、2001年より慶應義塾大学教授。2009年より東京大学教授。 1997年「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」で日本建築学会賞受賞、同年「水/ガラス」でアメリカ建築家協会ベネディクタス賞受賞。2002年「那珂川町馬頭広重美術館」をはじめとする木の建築でフィンランドよりスピリット・オブ・ネイチャー 国際木の建築賞受賞。2010年「根津美術館」で毎日芸術賞受賞。 『隈研吾-エターナル・エフェメラル』展 会期  2017.7.18-2017.9.10 火曜日~土曜日  10h~22h 日曜日・祝日:  10h~18h 入場無料 http://www.japanhouse.jp/saopaulo/event/kengokumaexposicao_00001.html 日本館についての情報は下記リンクからご覧ください http://www.bunkyo.org.br/pt-BR/pavilhao-japones 以下、日本館についての隈研吾氏によるエッセイです。 サンパウロ日本館 1954年の1月から1年間、ブラジルのサンパウロ市で、サンパウロ市制400年記念の万国博覧会が開かれた。会場計画の中心人物は、すでにモダニズムの鬼才として、世界に名を知られていたブラジル建築界のエース、オスカー・ニーマイヤー(1907-2012)であり、彼の力強い造型が、180万㎡のイビラブエラ公園全体で、華々しく展開した。 一方、日本館を任されたのは、和風建築の巨匠、堀口捨巳(1895~1984)であった。片やコンクリートの彫刻家、片や繊細な木造。これほど極端に対照的な組み合わせは考えられない。そして、できあがった日本館も、いかにも堀口らしい繊細な木造建築であった。堀口の設計した建築群の中でも、最も繊細なものと呼んでいい。桂離宮にヒントを得たと思われる、細い木の柱で建築を支える手法は、すばらしい完成度に達し、インテリアでも細い材料が繊細な音楽を奏でている。自由でマッシブな形態、強烈な色彩のニーマイヤーのコンクリート建築とは、すべての点で対極的であった。意図的であるとしか思えない対比が、そこには存在している。 当然堀口はニューマイヤーの会場計画を見せられていた。ニューマイヤーがどういう人物、どのような作風であるかも知っていた。堀口は何を考えながら、どのようにして、この日本館のデザインにたどりついたのだろうか。なぜここまで対極に振らなければならなかったのだろうか。 まず考えなければならないのは、日本のモダニズム建築とは、そもそも何だったのかという問題である。日本のモダニズム建築は、カタストロフと、深い関係をとり結んでいる。関東大震災と、第二次大戦という2つの悲劇(カタストロフ)による都市の消失を経て、日本はそれまでの「木の都市」を捨てて、「コンクリートの都市」を獲得した。それを、国家目標と決め、コンクリート化は日本の建設産業をうるおし、戦後日本の発展の経済的なベースとなった。20世紀初頭の西欧に登場した、コンクリートと鉄でできた機能主義建築、すなわちモダニズム建築が、コンクリート化した日本の都市の「制服」となった。コンクリート化という国家目標を達成することに、官民一体となって走ったのが、20世紀の日本建築史であったわけである。 その大きな流れの中で、堀口という建築家は奇妙なポジションにいた。一言でいえば、堀口は早すぎたのである。あまりに早熟だったのである。彼は1920年、東京大学建築学科在学時に、分離派建築会というグループを同級生6名で立ち上げ、7月には白木屋デパートで、「第一回日本分離派建築会展覧会」を開催し、岩波書店からも「分離派建築会宣言と作品」を出版。 1920年という日付にこそ注目すべきである。関東大震災は1923年9月であった。分離派建築会は、19世紀末に発するウィーン分離派にちなんだ命名で、日本で初のモダニズム建築の運動であった。東大の学生が、突然にして、日本の建築会の渦の中心となり、若きスーパースターが誕生したのである。もちろん、日本のモダニズム建築ととれる前川國男(1905-1986)よりも、丹下健三(1913-2005)よりも、ずっとずっと早いスタートであった そして最も注意すべきことは、堀口が関東大震災よりも早かったという事実である。関東大震災というカタストロフの後、日本の建築界は、木造の否定、都市のコンクリート化へと一直線に走った。最先端デザインであった西欧のモダニズム建築の導入と、大震災の教訓としての反木造とが、ぴったりと併走して、20世紀の日本建築のメインストリームとなった。モダニズムと大震災の同時性という時間的偶然が、その後の日本建築の流れを決めた。建築の流れを決定しただけではなく、日本社会の方向性をセットした。大震災があったからこそ、こんなにも早く、都市のコンクリート化が実現し、土建国家の方向に、国が一気に走り始めたのである。丹下、前川は、その潮流のトップランナーとなって、新しい時代を走り抜けたのである。 一方、堀口は、関東大震災のという笛の鳴る直前に、フライングしてしまったのである。単に分離派宣言(1920)を出しただけではなく、その宣言の延長線上に紫烟荘(1926)という不思議な木造住宅を設計し、発表してしまったのである。紫烟荘は、関東大震災後にメインストリームとなるコンクリートのモダニズムとは、明らかに異質であった。まずコンクリート造ではなく、木造であったし、フラットルーフではなく、茅葺の勾配屋根がのっていた。田園風のとてつもなく「しぶい」ものだった。 1910年代から20年代にかけて、ヨーロッパ建築界をにぎわしたアムステルダム派のデザインから堀口が影響を受けたことは明らかであった。アムステルダム派は大きな意味ではモダニズム建築の一派とくくることができるが、1930年代以降にモダニズムの主流となる、コンクリートボックスのデザインとは、対極であった。コルビュジエやミース・ファンデルローエがリードしたコンクリートボックスのモダニズムは、大量生産、大量消費を基本コンセプトとする工業化社会のニーズに答える優等生的デザインであったが、アムステルダムは、むしろ工業化社会の合理性を批判しているかのように見える。堀口がフライングだとしたら、アムステルダム派もフライングかもしれない。あるいはあえて、水のない地面の上に飛び込んだのかもしれない。 堀口は早熟であり、繊細であり、プライドも高かったのであろう。そのためにフライングし、さらにそのまま宙吊りになってしまったのである。そして堀口という建築家の一番のすごさは、それではコンクリートへと転向しなかったことである。彼はフライングで選んでしまった木造と添い遂げた。そのために、日本の伝統建築を、その後徹底的に学習した。伝統という助けを借りなければ、木造という一種の「過去の遺物」をもってコンクリートという時代の大潮流に立ち向かうことはとうてい無理であると、堀口は察知したのである。その意味で堀口の人生は悲劇であり、喜劇であったかもしれないが、充分に賢明でもあった。 その宙吊りの堀口が、よりによってコンクリートモダニズムのトップランナーであるオスカー・ニーマイヤーのデザインする博覧会の中に日本館を設計することになるとは、なんという時代のめぐりあわせだろうか。そして、これ以上の悲劇/喜劇がありえるだろうか。 堀口が、サンパウロの地で、いかに悩んだかは想像に難くない。この逆説的状況にどう対処すべきか。仕事を受けるべきか受けざるべきか。堀口はこう記している。「私はニーマイヤーのあの烈しい表現を伴った傍らに、自分の設計を試みる勇気を全く欠いていた。(中略)それから半月ほど私は柄にないこの仕事を如何にして断るべきかを考え続けた。」 しかし結局、堀口はサンパウロの仕事を受けた。しかも、『時代遅れ』の木造をもって、ドン・キホーテのごとき構えで、ニーマイヤーにいどんだ。サンパウロの日本館を一言でいえば、20世紀のドン・キホーテということになるだろう。それは喜劇である以上に英雄的であり、それゆえに人を打つ。 ドン・キホーテは、いかにしてコンクリートに闘いを挑んだか。20世紀のドン・キホーテはしばしば、庭を武器とすることを選んだ。和風の庭と抽象的なモダニズムの庭とを、レベル差を用いてセパレートするという巧みな操作によって、堀口は知られる。彼は繊細な木の建築を、庭という囲いを用いてまもったのである。堀口の代表作と呼ばれる岡田邸(1933)は、隔離された和の上に建つ木造と、抽象化された洋の庭の上にたつモダニズム建築を見事に共存させたのである。木造というドン・キホーテをモダニズムと対等に闘わせるためには、庭という強力な助けが必要であると、堀地は直観していたのである。 サンパウロも、堀口は徹底して庭にこだわった。庭の助けを借りて、ドン・キホーテをコンクリートの暴力からまもろうとしたのである。日本館の敷地が、巨大なユーカリの樹々によって、ニーマイヤーの建築群から隔離されていることを知って、まず堀口は安堵した。ユーカリの庭でニーマイヤーの暴力から隔離し、それだけでは足りずに、水の庭によって、さらに隔離を徹底させた。サンパウロの日本館のデザインの中心は、水の庭である。サンパウロ日本館は桂離宮のコピーだといわれてきたが、僕はその説に従わない。空中に浮いたピロティ状のプロポーションは確かに桂離宮の新御殿に似ているが、新御殿は水には浮いていない。堀口の岡田邸で、和庭と洋庭は水で隔離されている。彼にとっては、水が決定的に重要だったのである。建築のプロポーションは二次的な問題であった。それゆえサンパウロの建築には、建築に対する一種のニヒリズムさえ感じられるのである。水がメインであって、建築は脇役であるとうそぶいているような、ニヒリズムが感じられる。博覧会建築という、一種の祭りのためのイベント建築であることが、ニヒリズム感を一層高めている。 堀口は、幸か不幸かニーマイヤーという圧倒的な強敵と遭遇したことによって、庭による隔離を徹底し、建築に対するニヒリズムがめばえ、ドン・キホーテは行くところまで行った。堀口という方法は、サンパウロという場所と出会うことで新しい境地へと到達した。 そこに僕は偶然以上のものを感じる。ニーマイヤーという方法が、そもそもブラジルという場所、ブラジルという遠い場所を必要とした。ヨーロッパの中にいたら、これほどの自由な造型は不可能だったろう。そしてブラジルという遠く自由な場所だからこそ、木造とコンクリートは、こんな乱暴な形で出会うことになったのである。その出会いの緊張感が、サンパウロ日本館という、きわめてユニークな木造建築を創造したのである。 この堀口の水面が、今は白い防水プラスチックシート敷きの、みたこともない不思議な池と化している。まったく日本的でもなく、庭とさえ呼びたくもない。しかし、池が隔離のために用いられたとするならば、これ以上の切断はないかもしれない。この池は今や和庭でもなく、洋庭でもなく、宙づりにされている。この不気味なほどに白い池こそが、堀口というフライングしたドン・キホーテにはもっともふさわしいように、今となっては思えるのである。 Pavilhão Japonês de São Paulo Kengo Kuma, arquiteto Durante

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ブラジル・ニッポン移住者協会主催お花見会

ブラジル・ニッポン移住者協会が2003年に植樹しました雪割り桜のお花見会が今月20日にUSP(サンパウロ州立総合大学)で開催されます。みなさま是非ご訪問ください。 ブラジル・ニッポン移住者協会主催お花見会 日時:8月20日(日)、午前11時~午後3時 場所:USP(サンパウロ州立総合大学)内CEPEUSP お問い合わせ:ブラジル・ニッポン移住者協会、(11) 4611-0159まで。 主催:ブラジル・ニッポン移住者協会 協力:USP(サンパウロ州立総合大学) 入場無料

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Missa de 7º dia em memória de Kazuo Harasawa

Será realizada missa de 7º dia em memória de Kazuo Harasawa, um dos fundadores da Sociedade Brasileira de Cultura Japonesa e de Assistência Social – Bunkyo, membro e ex-presidente do Conselho Deliberativo da entidade e ex-vice-presidente do Pavilhão Japonês, além de ex-presidente da Beneficência Nipo-Brasileira de São Paulo – Enkyo.

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訃報 中山喜代治氏

モジ・ダス・クルーゼス文化協会元会長でありブラジル日本文化福祉協会地方理事、評議委員会会員を務めました中山喜代治氏が7月6日、肺がんのため治療中のサンパウロ市内のがん治療センターでお亡くなりになりました。71歳でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 葬儀、埋葬は7月6日にパルケ・ダス・オリベイラス墓地にて執り行われ、初七日法要が13日にサントゥアリオ・サグラード・コラソン・ジ・ジェズス教会にて行われました。 49日法要は今月20日午後4時半よりモジ・ダス・クルーゼス文化協会にて行われます。 中山喜代治氏の49日法要 日時:8月20日(日)午後4時半から 場所:モジ・ダス・クルーゼス文化協会 住所:Rua Presidente Campos Salles, 230 – Vl. Industrial – Mogi das Cruzes – SP お問い合わせ:(11) 4791-2022

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訃報 原沢和夫氏

文協創立会員の一人であり、文協評議委員長、日本館副館長、援協会長を務めました原沢和夫氏が8月13日早朝、療養していた特別養護老人施設「あけぼのホーム」でお亡くなりになりました。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。 葬儀は13日にアラサ墓地 (Av. Dr. Arnaldo, 666 – Cerqueira César, São Paulo–SP. Tel.: (11) 3256-6486) で執り行われました。 初七日法要は19日午後3時からサンフランシスコ・デ・アシス教会にて行われます。 原沢和夫氏初七日法要 日時:8月19日(土)午後3時から 場所:サンフランシスコ・デ・アシス教会 住所:Rua Borges Lagoa, 1209-A – Vila Clementino, São Paulo – SP お問い合わせ:(11) 5576-7960

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Biblioteca do Bunkyo – Feira de Livros Usados

A Biblioteca do Bunkyo realiza, no próximo dia 29 de outubro, das 9h às 15h, mais uma edição da Feira de Livros Usados. Montada na Sala de Exposições da entidade, a Feira reúne livros usados doados por leitores associados, apoiadores e empresas japonesas.

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Exposição: Tomoo Handa, 100 anos de Brasil

Celebrando os 100 anos da chegada de Tomoo Handa ao Brasil, entre os dias 10 a 22 de outubro será realizada uma exposição de suas pinturas no MHIJB – Museu Histórico da Imigração Japonesa no Brasil, na capital paulista.  “Ninguém melhor do que Handa registrou o viver do imigrante em

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Regional da Bahia

Regional da Bahia A Federação Cultural Nippo Brasileira da Bahia – FCNBB, uma das Regionais do Bunkyo, publica um informativo com as principais atividades da entidade. Aqui no site você pode ler online as informações completas desta Regional.

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Exposição “Hana wo Mederu”

Neste dia 29 de setembro, às 19h30, será inaugurada a 3ª edição da exposição de ikebana Hana wo Mederu (Amando e apreciando as flores) no Salão Nobre da Sociedade Brasileira de Cultura Japonesa e de Assistência Social.

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