ブラジル講道館柔道有段者会名誉会長の岡野修平氏が1月16日の午前5時頃、ご自宅で逝去されました。
82歳でした。
同日、家族と近親者により葬儀が執り行われ、レデントル墓地(SP)に埋葬されました。
岡野氏は昨年末から2週間ほど呼吸器疾患により入院、年明けからは自宅にて療養中でした。
岡野氏と柔道
1938年1月20日、北海道に生を受けた岡野氏は、10歳で柔道を始め、以来柔道一筋の人生だったといえます。
東京の中央大学法学部に在籍中に、同大学柔道部の副主将を務め、卒業後の1964年には世界の強豪が揃った国際親善大会で準優勝を果たしました。
ブラジル柔道への貢献
岡野氏が、サドキン電球工業の創業者で後にニッポン・カントリークラブの初代会長となる山本勝造氏に呼び寄せられブラジルへ来たのは1966年、当時28歳の時でした。
サドキン電球工業で働きながら、翌年にはブラジル柔道の代表チームの監督に任命されました。
72年のミュンヘンオリンピック大会では石井千秋選手の初のメダル(銅)獲得に導くなど、ブラジル柔道史に名監督としての名前を残しました。
柔道を通して日伯交流にも貢献
ブラジル講道館柔道有段者会の役員や会長を歴任するなど指導者として活躍するだけでなく、柔道を通して日伯の交流にも尽力されました。
その大きな貢献が日本政府に認められ、令和元年(2019年)春の叙勲において旭日単光章を受勲しました。
なお、2009年には、通常は80歳以上が対象となる国内最高位「柔道9段」に当時72歳で昇段しています。
岡野氏がブラジル柔道会に対して成した貢献があまりにも偉大であるというのがその理由です。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。